諸君、私はポストアポカリプス系が大好きだ。
地上で空中で宇宙空間でその他諸々色々省略するが、映画だとマッドマックスなんかが大好きだ。
やっぱり怒りのデスロードだよね。あれはすごかったね。(それ以外だとマッドマックスは2派である。ヒューマンガスはなんか魅力ある)
話は置いといて、こういうポストアポカリプス系でよくあるのが「人類の間で核戦争が発生して~~」という理由。マッドマックスなんかは「大規模な戦争」でぼやかしているけど、核戦争も含んでいるだろう。
「北斗の拳」では明確に核戦争と冒頭に明言され、ある意味で「核の炎に包まれた・・・」はポストアポカリプスにおいて、なろう小説のトラック的存在として君臨していた。
無論、「核兵器による人類滅亡」は50年代以降の米ソ核軍拡による核の恐怖という歴史的、現実的脅威があるのであり、それは今も状況としては全く変わっておらず、むしろウクライナ進行で増大している可能性もある。もちろん、歴史の先行きがいち底辺国民などに分かるわけもないが、とにかくこういった現実的脅威があり、それがあるからこそ核兵器によるポストアポカリプスは「現実性のある終末」として、長らく君臨してきた。
しかし、最近は変化が見られるように感じたので、それをここにメモっておこうと思った次第である。
とはいえ、なかなか特定の言葉に集約しづらいのだが・・・
強いて言うなら「繁栄の後のゆるやかな衰退」という感じか。
アトリエシリーズはほぼこれである。
ある文明が発達したが、やがて原因不明で衰退して・・・という感じである。
そしてブラッドボーンであるが、これは要するに上位者と呼ばれる宇宙人みたいな奴の血を求める話なのだが、そもそも上位者自身が「子供を作れない」という設定があって、要するに上位者は少子高齢化していた、という設定だった。
まあ、ブラボはポストアポカリプスではないけど・・・
昔のエイリアンの続編映画である「プロメテウス」では、エンジニアという巨人族が出てくるが、こいつらも元のシナリオでは「子供を作れなくなった」という設定が語られていた。
そう、少子高齢化による衰退・・・
この現実的社会現象が創作の世界にも影響を与えるのも、当然のことだろう。
ちなみに、有名な実験としてユニバース25だかなんだったか、ネズミの繁殖実験がある。ネズミに十分な広さと餌を与えたら、最初は数が増え続けたけどやがて頭打ちして、最後には全滅してしまった、という衝撃的実験である。
この様子が今の少子高齢化社会に奇妙な一致を見せており、一部では「人間社会もこうなるのでは・・・?」と戦慄が走っている。
ネズミと人間は違うと思うし、社会構造などもネズミの集団ほど単純でもない。
なのでこのネズミの実験が人間社会にそのまま当てはまるかどうかには疑問があると思う。
しかし、現実を再現することはできない以上、単純化して実験するわけで、実験としては十分な内容だと思う。
これから人類がどうなるのかは分からないが、まあ人口減っていなくなるなら、もうそれでいいんじゃね?という気分もある。
もちろん、繁栄できるならそれに越したことはないが、繁栄って言ってもすでに基本的な生活においては何不意自由ないわけで、あとは資源配分だけの問題だろう。あとは地球上の資源の問題か。
どちらにせよ、地球上の資源の前に、人間自身が終末を選んでしまう、そんな本能があるのかもしれない。
だからこそ、人はポストアポカリプスに惹かれてしまうのかもしれない・・・
という感じで、いい感じに〆れたと自画自賛しておく。
俺しか俺を褒めるものがいないのでね。