ここはクラウス商店。
食料品から日用品。武具や雑貨に至るまで様々な物を扱う賊に襲われ半壊状態にあったはずの小規模商店である。
「これは一体どういう……」
半壊状態……半壊状態だった筈だ。
妻のレイチェルと、娘のライチも賊に連れて行かれたはず……なのに……
「……なんで、そのレイチェルとライチが私の部屋で寝ているんだ?」
いや、無事戻ってきてくれたことは嬉しい。嬉しい限りなのだが……
妻と娘を起こさないよう布団から出て、戸を開ける。
そこには、昨日とまったく変わらない商会の姿があった。
一体何が起こった?
いや、変わっている点が一つだけある。
それは――「やあ、おはよう。よく眠れたようだね。クラウス」そう言いながら、椅子に座り行儀よくミルクを飲む赤子の姿。
隣には、まるで執事のように付き従うまるで炎の化身のような異形の姿もある。
「……き、君は」
そう尋ねると、赤子はまるで私の思考を読んだかのように答えた。
「ボクの名はステラ。クラウス。君の願いを聞き届け、君の妻と娘を助けた零歳児さ。丁度、壊れた店の修繕が終わった所でね。ホットミルクで一杯やっていた所なんだ。なにせ成長期でね。腹が減って仕方がない。君の妻、レイチェルと娘のライチが倒れてしまったのでね。冷蔵庫に入っていた牛乳を貰ったよ」
どうやら、昨日のことは夢ではなかったらしい。しかし……
「ぎ、牛乳を飲んだのですか?」
よくはわからないが、この赤子、牛乳を飲んだらしい。牛乳には、まだ、赤子には分解することのできない乳糖が――
「ああ、牛乳は、火の原初精霊ファイア・オブ・プロメテウスが煮沸消毒してくれたからね。安全性に問題はないよ」
「そ、そうなのですか……?」
いや、乳糖は煮沸消毒した位では……。
と、いうより、この赤子。まさか、私の考えが……というより、何で赤子が喋っている?
私の頭がおかしくなったのか?
それとも夢を見ているのか??
すると、ステラを名乗る赤子は再び私の思考を読んだかのように答えた。
「ああ、読めるよ。そしてこれは夢じゃない。閻魔大王に書類地獄に落された際、念話とかいう特殊能力をもらってね。それからというものの、ボクの頭の中には他者の思念が絶え間なく流れ込んでくるようになってしまったんだ。困っているよ。喧しくて堪らない。あと、ボクが喋れるのはボクの体が少し特殊だからかな? 疑問点は以上かい?」
「――っ!?」
どうやら本当に思考が読めるらしい。
妻と娘を助けてくれた上、店の修繕までしてくれたようだ。
私はステラと名乗る赤子に頭を下げる。
「……ステラ様、ありがとうございますっ! あなたのお蔭で、私の家族は救われました」
正直、零歳の赤子が喋っていることに違和感を覚えるし、薄気味悪くも思うが、妻と娘を救ってくれたのは間違いなくこの赤子。
だとしたら、まずはお礼を言わなければならない。
恩を受けておいて、それを返さないのは礼に失する。
「……それで、私はあなたにどう礼をお返しすればよろしいでしょうか」
妻と娘を賊から救ってもらい、店の修繕までしてくれた。
そんな、赤子に私は何が返せるだろうか。
ステラ様は私に『育てろ』と言った。
しかし、『育てる』と言う単語は、一人前になるまでの過程をうまく進むように、世話をやき助け導くことを言う。
すると、思考を読んだステラ様が私の疑問に答える。
「――ああ、そういうことか。確かに言ったね。では、言い方を変えよう。クラウス。君にはボクが十歳になるまでの間、育み養って欲しい」
「育み、養う……」
「ああ、親鳥がひな鳥を大切に育むように優しく。食べ物や衣服を与え、生活の面倒を見て欲しい。対価として、ボクが十歳になるまでの間、この商店を……クラウス、君が大事にしているものすべてをこのボクが守ろう。どうかな?」
どうだろうかも、何もない。
「――よろしくお願い致します」
私はそう言葉を告げると、両膝をつき恭順の意を示す。
それこそ教会に祀られている神に祈るように――
この日、私の下に神が舞い降りた。
そして、この後すぐ、ステラ様の庇護下に入ったことのありがたさを知ることになる。
◇◆◇
「一体、どうなっているっ!」
朝が明け窓を開けると、賊が入り半壊状態になっていたはずのクラウス商店が、元の状態に戻っていた。
それだけではない。外側だけ見れば、以前よりも立派になっている。
なぜ、半壊状態になった建物が元に戻っているのか分からないが、一つだけ明らかなことがある。
「あ奴等、しくじりおったなっ……!」
クラウス商店は食料品から日用品。武具や雑貨に至るまで様々な物を扱う同業商店。小規模ながら低価格なのに品質がいい商品を扱っており、客入りもいいので、クリボッタ商会の傘下に加えてやろうと提案したが、即断したゴミクズが経営している店だ。
つまりは、ワシが会頭を務めるクリボッタ商会の商売敵。目の上のたん瘤である。
そのたん瘤を排除するため、この町の自警団に金を握らせ、理由を付けて襲わせたというのに……。一体、いくら金を握らせたと思っている。
自警団の下っ端に金を握らせたのが拙かったか?
しかし、自警団のトップはこのワシに警戒感を抱いており、金では靡かない。
この町で商売敵を合法的に潰すためには、自警団に頼る他ないが、トップとの伝がない以上、やれることは限られてくる。
仕方がない……こうなっては手段を選んでいられない。自警団の下っ端により多くの金を握らせクラウス商店に対し、これまで以上に凄惨な営業妨害を仕掛けるとしよう。
金を握らせた自警団の連中は、魔法士との契約により、言論に縛りをかけている。バレるはずがない。
「まったく……なぜ、このワシがこんな目に遭わねばならんのだ……」
クラウスの奴が、クリボッタ商会の傘下になれば話は丸く収まるというのに……。
何より、品質の良い物を低価格で売られては商売が成り立たない。
クラウス商店が品質の良い物を低価格で売るお陰で、愚客共が値引き交渉を仕掛けてくるし、品質の悪さが露呈するしで散々だ。
クリボッタ商会繁栄のためには、不当に安い値段で商品を売るクラウス商店を潰すか、取り込むかしかないのだ。
クラウス商店と同じ価格設定で勝負しようと言い出した妻は、子ども諸共とっくの昔に家から追い出した。
冗談じゃない。なぜ、このワシが商品を値下げしなければならないのだ。
そんなことをしなくても、クラウス商店を潰すだけですべて元通りとなる。
「――大方、ボディーガードでも雇っていたのだろう。だが、残念だったな……」
もう容赦はしない。これまで以上の金を注ぎ込んででも、クラウス商店を潰してやる。
クリボッタ商店の会頭であるクリボッタ・ネロはクラウス商店を一瞥すると、ゆっくりした足取りで自警団の下へと向かった。