という話を子供としている。米津玄師のアルバムの話だ。
私はYANKEEが好きだし子供はdioramaが好きらしい。
YANKEEの方が圧倒的にPOPでわかりやすいしボカロ時代のファンにも米津玄師を新しく好きになったファンにも優しい構成だと思う。dioramaは大人が聞くのにはちょっとしんどい。疲れる。子どもにはいいのかもしれない。
音楽は頭を使わないで聞きたいんだよ。という私はいつのまにか子供心を忘れてちゃんとした大人になってしまった。ところでセイントヴィンセントがグラミー授賞したらしいですね。やった。ヴィンセント大好き。twenty one poilotsも惜しかったね。Jamp suits。俺を包み込んでくれ。すっぽりくるんで、離さないで。
いつから男の人がこんなに狂おしい気持ちを歌うようになったんだろう。
米津玄師の歌詞は情緒を病んだ感じがしてでも昔はこういう歌詞はV系の人の伝統芸みたいなところがあったけど、今は男の子が泣き言を言うのにメイクもスカートも着ぐるみもいらなくなったんだね。共通のコスチュームは長い前髪くらいか。
ロックも破壊や衝動の向く方向が、どんどん内側に、自分の方へ集中しているよな気がする。それがきっと二千十年代のカラーなのかな。
それはとても素敵だし、執拗な自己破壊の末にPOPの地平が開けているとしたらとても希望のある話だよね。米津さんのアルバムが外向的に開かれていったみたいに。ひとりで作る音楽が、生のバンドと共同で作る作品に変化していって、外側に拓かれていく。偏執的な打ち込みやアレンジやサンプリングが、リスナーへの強くわかりやすいメッセージに、姿を変えていく。
夢とか希望。そういうことを思いました。