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楽屋裏〈解説混じりに〉――何を体得したかったのか


思うところあって、なるべくオープンな、あるいは人と関わり合えるような、そんなやり方を下手なりに模索してみようと、そんなもくろみのうえで書くノートです。

書く側にいる僕としての、ひとりの書き手としての放言ってところです。
文章技巧的な話が多くなると思いますが、自分の作品の解説みたいなことも混じります。ネタバレにあたることは書きませんが、純粋に作品だけを楽しみたい人は、読まずにいたほうがいいかもしれません。

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僕は文章技巧を錬磨していくことが好きなので、それぞれの作品が目指すところとは別に、文章技巧の新たなテーマを(自分の中で)掲げて書くことが多いです。

『時雨心地がぬぐえない』の最新話で、〈『雪映りの雪』より抜粋〉という部分を載せ始めましたが、これは、技巧のうえでのテーマがかなり色濃く反映されました。
(まず載ったのが〈上編〉ですから、まあ、上だけでは終わりませんよね、普通)

気になっていたのは、“心理描写”というものについてです。
それは“描写”と名乗りますが、これまで本当に、(世に出ている多くの作品において)“描写”たるべき書かれ方をしていただろうか、多くについては、それに達してはいなかったんじゃないか、そう思いました。
だって、「嬉しい」「悲しい」から始まって、せいぜい、「怒りが滲む」くらいでしょうか。あるいは、「胸が痛む」というのは、一見、描写に思えても、成句として成り立ってしまっていて、それ自体できちんと意味を持つ言葉になっています。
そして、「涙を零した」「指が震えた」と書けば、それは心理・感情ではなく、動作・視覚的な変化を表すものになります。

一人称であれば、そういうところは柔軟にやれるかもしれません。
逆に言えば、今回の挑戦には不適当であるからこそ、『雪映りの雪』は、一人称を採用しなかったのです(結果として、二人称になりました)。

僕のもくろみ、あるいは挑戦は、「心理の動きを、描写として(そして連続性のうちにあるものとして)書こう」ということでした。
風の流れや季節の変化が一瞬として表現できないように、心の動きもまた、一瞬の停止した時にはない、そういう前提も含まれていました。

〈上編〉しか載っていない段階でこんな話をしてしまうのも意地悪ですが、〈『雪映りの雪』より抜粋〉が全て載った後、そういうところを気にして読んでみるのも一興かもしれません。
結果としては、僕が当初、想定していたものとは違う形になって成立した、そう認識しています。
あくまで、僕が書き手として求めた技巧であって、読んでくださる皆さんに届けたいものは“作品”であると、それは付言しておきます。

余談の域に入ってしまいますが、『夏の言霊』は、ある意味では正反対、外側から得られるものの描写を突きつめて書いてやろう、そういうものが掲げられています。
この場合、風景描写と書くと不適切で、それは視覚のみに頼ってしまうからです。
五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)から得られた情報が、主観によって処理されて、描写たる文章となる。ゆえに、一人称が適切で、外界の情報を(極めて優れた感性と言葉で)処理する主観として、大楠結真という主人公が必要だったのです。
その大楠結真を深く掘り下げていく際に、僕の中で、『時雨心地がぬぐえない』からの繋がりが見えたので、そのようにしました。

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Billy Joelの『Piano Man』を聞いています。
僕がもっとも大切に思う曲のひとつです。

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