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某SNSの運用規定改編で…

こんばんは。

今日も作品の改稿作業を進めていました。
今登録している分だけでも、公開日付は12月中旬に入りかけています。
(ノンストップで1日2話ずつアップする予定で作業を急いでいますので、作業量の割には公開日付が先に伸びません)


さて、今日はタイトルのとおり、カクヨム公式でも利用されている某巨大SNSの運用規定が改変されたということで、ここ数日ネットの中は大騒ぎになっています。

そのうちの片方、ユーザーのブロック云々の件は、ここでは話題にしません。問題はもう一つの方で、ものすごく大雑把に言うと、アップされたコンテンツを生成AIの学習用で利用することができるという方ですね。

非難轟々の論争が巻き起こっていたり、引越し先を探しているクリエイターさんのために、一部のSNSはユーザーが殺到して繋がりにくくなっている状態です。


インターネット老人のたわごとですが、これはインターネットが一般に公開された黎明期から度々問題になってきたことです。


公開されたものは真似をされる。今回は相手が人間だけにあらずAIという得体のしれないものだから余計に不安が募っているのだと推測されます。

絵師の方、文章書きの方、声のお仕事の方…、みなさんクリエイターと言うのは自分で長い時間をかけて努力して、コンテンツを生み出してきました。それを得体のしれないAIというものに真似をされて、それが生成するもので生活が脅かされる。ある意味では正解だと思います。

恐らく上に挙げた3つの世界で、一番困難なものは文章書きでしょう。

日本語は世界で一番難しい言語のひとつです。もちろん、生活に使われる文章と言うものは容易くコピーされるでしょう。しかし、ここカクヨムに上がっている、小説・詩・エッセイは、誰かがコピーすれば盗作として扱われるでしょう。

絵師の方も、その技術を使われて全く同じものを出されたとなればオリジナルデータを持っていないほうが贋作となります。

創作者は「オリジナル」をどこかに持っていると思います。AIが学習(真似)をするのは、先に模範回答を見てテストに回答するようなものです。逆にオリジナルを持っていない方は今後淘汰されていく時代になるでしょう。(小説界隈では「テンプレート作品」と呼ばれる作品も、この先どのように変わってくかは分かりません)

ネットにアップしたものは、誰かに見られる。そして真似をされることを前提にしていないと今回のようなパニックが起こります。

以前、AIに小説を書かせたらどうなるかといった実験もありましたが、総合的な結果は人間が書いたほうが面白いというものだったと思います。

もし、誰かがAIを駆使して作品を作ったとしたら、その最終チェックをするのは人間のはずです。AIはあくまで道具に過ぎないのです。

では完全模倣をされないためにはどうすればいいか? とにかく自分の持ち味を最大限に鋭くし続けるしかありません。

すでに私たちはAIが作った画像・文章・音楽に囲まれていると考えていいでしょう。その中で生き残っていくためには、自分しか作れないものを発信し続けるしかないと思います。

私も当該のSNSは、作者さまたちとのコミュニケーションツールとして使っていることがほとんどで、作品の公開はカクヨムのようなコンテンツ特化型の場所です。もし、カクヨムが「生成AIの学習のために、ユーザーの作品を積極的利用する」と規定を変えたらどうなるでしょうか? きっとそんなところには載せたくないと思って公開する人はいなくなるかもしれません。そんなことにはならないという安心感・信頼感の上で成り立っている世界です。

ですから、これから世界にいくつもあるSNSも集約・淘汰が進み、それぞれの分野に特化していくのではないでしょうか。それを決めていくのはプラットフォーム提供側ではなく、私たちコンテンツを生み出す・オリジナルを保有する側であることを忘れないで、冷静に使っていくことが求められるのではないかと思います。私もこの状況をしばらく冷静に追い続けてみたいと思います。

4件のコメント

  • こんにちは。
    僕は最初からAI作成以には疑問でした。
    まるでプロなみに誰でも絵やイラストが描けてしまう。
    プロと素人の境界線がなくなるのはよくないと思っています。
    すごく危機感感じてます。
    それが小説まで影響を与えるって、どこかで歯止めをかけないと
    プロもアマもないカオスな世界になってしまいます。

    AIの開発会社はアプリが売れたらそれでいいでしょうけど・・・
    まるでサプリメントに似てるなって思います。
    こんなことやってたらいつかは破綻をきたすような気がします。
  • 猫野 尻尾さま

    こんばんは。いつもありがとうございます。
    これが同じような開発中の人型ロボット(ヒューマノイド)にも「不気味の谷」というものがあり、それを乗り越えられなければ、人間と共存できるものはできないと言われています。そしてまだそれを超えられてはいません。

    この生成AIも、ネット版の「不気味の谷」に差し掛かっているのではないでしょうか。

    プロと素人の間には決定的な差があります。それが感性と言うものだと思います。例えば相田みつをさんのような筆を真似ることは形の上では簡単でしょう。ですが、本物には本物にしかない迫力というものがあります。

    私も先日、某文学イベント(絵師の方含む)に一般参加者として行かせていただき、そこで絵師の方が描いた印刷でない色紙をお迎えすることができました。それ以前にも、尊敬する作家様のサインの入った色紙を頂く機会にも恵まれました。どちらも私の部屋にフレームに入れて飾っていますが、印刷ものではないサインや生のイラストはその存在感が圧倒的です。

    もしかしたら、今後はこういった現物を求める時代に再びなってくるのかもしれません。それは退化と言う意味ではなく、本物という価値を求める新しい時代です。

    その頃に私が生きているかは分かりませんが、やはり本物は本物。贋作は贋作、盗作は盗作。その見極めができるようになっていただきたいなと、インターネット老人である私などは思ってしまいますね。
  • おっしゃってることよく分かります。

    僕は以前看板屋さんで働いてたことがありましたが、僕の時は
    文字や絵はペンキで手描きしていました。

    それが時代とともにカッティングマシンが出てきて、手書きで
    文字が書かなくてよくなり、インクジェットなんてマシンが出てきて
    絵も手描きは必要なくなりました。

    ずいぶん効率化されて合理的になりましたけど、でもやはり手描きを求める人はなくならなかったですね。

    やはり手描きには機械には出せない魅力、個性があります。
    僕は油絵を多少たしなみますけど、油絵の魅力は機械では出せませんからね。

    それに3DCGのソフトを使ってAIとは違う自分だけのキャラも
    作ってます・・・これからもこれは大事にしていきたいと
    改めて思いました。
    そう思わせてくださってありがとうございました。(=^x^=)

    やはり無機質なAIは感性を持つ人間を超えることはできないのかも
    ですね。
  • 猫野 尻尾さま

    ありがとうございます。おぉ、すごい腕や趣味をお持ちでいらっしゃる。

    おっしゃるとおり、恐らく平坦に塗るだけなら手よりも機械の方が上手ですし仕上がりも良いでしょう。工業製品であれば歩留まりの向上ですから、大量生産の機械化、それを自動化するには向いています。

    ですが、やはり個性を求める時には、最後は人間の手や感性がないと作れないものがあります。プログラムは勝手に物は作ってくれませんからね。

    速度や計算スピードは絶対に敵わないことは承知の上で、人間でなければできない仕事というのは必ず残ります。恐らく私が定年を迎えるころには、そういう時代になって、機械にやらせることは機械にやらせ、人間じゃなきゃできないところを人が担う。そんな時代がこの少子高齢化を迎えた日本ではやってくるのではないかと思います。
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