『花鳥風齧』これまでの投稿文の小説本文から、チベットなどの宗教的儀礼としての鳥葬とイメージを混同しやすいことから、実態に合わない「鳥葬」という単語をすべて「風葬」と書き換えさせていただきました。
鳥辺野の地名の文字面からのイメージを援用しているのがさらに誤解を招きやすいとは思うものの、こちらについては他にも設定理由があるため舞台設定を変更する予定はありません。
じゃー化野《あだしの》にすっか!ってわけにはいかないのです。
もちろんPVも少ない素人のweb小説ですからたいした影響があると思うほうが自惚れです。だからこれは誰かに何かを言われたとかではなく、ただ、鳥葬や獣葬を晒し者のように言うおもしろくない冗談とそれに付随しての「鳥葬を野蛮な風習のように言うな」「野晒しと一緒にするな」という意見がたまたま目に入ったので思うところがあってのごく自主的で自己満足的な改変になります。
(ちなみに国葬を揶揄してそういう問題発言をする人がいたことと国葬自体の是非はまた別の議論です。私はただどんな立場であれその冗談は全然鋭くないし面白くないというだけのことを表明しているだけです)
しかしながら個人的な意見として言えば、チベットの鳥葬は尊いが野晒しは尊くないとも思えません。すべての葬送にまつわる風習はその地の文化宗教社会事情と複雑に絡まって関係しており、どの地の、どの宗教の、または無宗教の、どの時代の葬礼にも貴賎はないと思うのです。葬送儀礼を外連味たっぷりに描いている私が言うことではありませんけど。
花鳥風齧は野辺の風葬を殊更にセンセーショナルに演出した小説であり、史実と異なる面もあります(庶民は確かに野晒しも多かったが、袿を纏うような貴族の間ではかなり火葬が進んでいたことでしょう。特に鳥辺野は貴人の火葬地でもありました)。
鳥辺野の野晒しの様子は絵にも描かれていますしパンデミックによりたびたび収容しきれない遺体が溢れたという記録もありますが、一方で貴族が火葬を忌避してわざわざ風葬を選択することもあったようです。この場合は古来の葬儀である「殯《もがり》」の名残を引き継いだような形になり、小さな小屋を建てて棺に遺体を安置するスタイルにはなりますが。
ともあれこの時代のこの国だからこう……とは言い切れない複雑さがあるのが葬儀風習です。
さて、ややこしい話を長々と失礼しました。
『花鳥風齧 弘徽殿の悪役令嬢編』は10月の連休のあたりから開始できたらいいなと思っています。どうぞよろしくお願いします。