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アンチラブストーリー

丸いサイコロと、箱からが2作ともネクロフィリアがかかわっているように「恋ができる人は限られた恵まれたひとだけ」っていうのはいつも言っている全編通してのテーマですが、 恋が出来る人と人間関係を覚え続けられる人はどちらもすごく恵まれていて認識や記憶などが機能して初めて成される才能なのに、なぜか才能を振りかざし独善的で偉ぶった人が多いと思うのですが、メディアが煽ったからでもあるのかもしれません。

 二つの鍵から見た人にはよくわからないと思いますが、金髪女性エリザさん?の深い話は本編でもあまり詳しくは出てきませんが、健気な側面も持っている、少し悲しい女性です。

 他人を愛することが恵まれていること、とまつりの記憶が繋がったり途切れたりすること、を対比というか、そういうメッセージも込めていたりしますね。と、本編は全力でアンチラブストーリーをしています。他人を好きになれるのって結局は記憶と認識力があるからなんですよ。
それに、本編のネクロフィリアのように誰もが恋を祝福されるわけではない。
相手がたまたま人間だっただけなんです。
 世間には好きならアタックあるのみ、とか無責任な言葉を投げ掛ける人がいますが、そういうのも皮肉って書いているんですよ。

 ラブストーリーのふりをして、アンチラブストーリーをしている皮肉な構成っていうのかな。
なとなとは解説するとそういう話をしています。

 誰かを選べば誰かが苦しむ、誰かを好きになれば誰かを嫌いになること、それは絶対の理です。恋愛は良い面しかかかれないこともありますが、 誰かを好きになる、は、誰かを嫌った、裏切ったということでもあると思う。知らないだけで、絶対に誰かを同時に傷付けています。
でも、きっと傷付けていくしか無いんですよね。
 みんなが口にしない、その裏切りも内包するものがあればいいなと思うんですけど、うまく言葉に出来ないというか。
なにかを好きになることは、恵まれた才能で誰かを裏切ること、それを忘れないでほしい、みたいな。?ことを書いています。




たくひあい

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