(自分の反省点のピックアップもかねて書いてます)
セリフがあって、心情描写系の地の文があって、ト書き系の地の文がある。
これが小説を構成する大まかの要素、らしい。
Aは空を見上げながら言った。 ←ト書き系の地の文。
「明日は晴れるといいな」 ←セリフ
そんな彼の横顔は、なんだか寂しそうに見えた。←心情描写系の地の文。
↑つまりはこういうことだ。
で、小説を書いているとある問題に直面する。それが「キャラの挙動を表す言葉が貧困」ということである。
この「キャラの挙動を表す言葉」を簡単に説明するために、上記した文を例にするなれば、「Aは空を見上げながら言った」という部分が「キャラの挙動を表す言葉」になる。
まあ実際、ここまでハッキリとした「キャラの挙動」であれば簡単だ。空を見上げるという動作には、「ああ、こいつはなんか悲しそうだな」なんて僕たちに思わせる力がある。
というか「空を見上げる」という動作はすげぇ使い古されていて、「空を見上げる=悲しい感じ」ってのは、僕たちの中に刷り込みがなされているのだと思う。
話は長くなったけど、そんなキャラの挙動から読み手は、そのキャラの心情を察知したりするわけである。(首の後ろ撫でた、とかだと「このキャラは不安なのかな?」と思ってしまうなどなど。ほかにも色々ある)
で、問題なのは、僕はそういった「キャラの挙動を表す言葉を使いまわしがち」ということだ。
例えば「嘆息する」とか「こくりとうなずく」とか「体を抱え込むようにして腕を組む」などなど、このあたりは油断すると作中に何度も使ってしまいそうになる。
というか、僕は疲れているとこの現象が起こりやすい。
Aの言葉に俺は嘆息してしまった。
「ってことはなにか?バナナはおやつに入るってことか?」
そう聞くとBは嘆息しながら答えた。
「そうさ。あの先生はバナナはおやつに入る派の人間てわけさ」
「くっそなんてこった。果物はおやつに入らないのが常識だろうが」
バナナは栄養価も高い。もし万が一、遠足で遭難してしまった場合でも、バナナを持っていることで生存率が高まるはずだ。
なのに『バナナをおやつにはいる』なんて先生が言ったら、おやつを沢山持っていきたい生徒はバナナを遠足に持って行かなくなるじゃないか。そうなれば、もし遭難してしまった際、バナナを持っていないという事態に陥ることになる。そんなことも、あの先生は分からないのか。
思わず僕は、嘆息してしまった。
ってな具合である。
いったい、こいつらはどんだけ嘆息しているのだろう。どれだけ溜息をすれば気が済むのだろう。どれだけ「はあはあ」とため息をしながら話をすれば気がすむのだろう。(かなり過度な例ではあるけど)
また、「嘆息した」という言葉は「嘆いている」というキャラの心情を表しているわけだが、よく考えれば「嘆息」という挙動だけが、そのキャラの「嘆き」を表す言葉ではないのだ。
首を大きく横にふる、とか肩をすくめるとか、色々と「嘆き」を表す挙動と言葉は沢山ある。
さらに言えば「嘆き」にもレベルというか、「嘆き」の強さもある。だから「嘆息した」だけではなく、そのキャラの心情が読み手に伝わりやすいように、最適な言葉を選ぶ必要があるのだ。
にも関わらず、ついつい「嘆息した」という言葉を使いがちだ。
で、それはなぜ?と聞かれたら、「語彙力が乏しいから」ってよりも「言葉選びはとってもめんどくさいから」という理由が大きい。
小説書いてる人間としてはダメなことだと思うけど、ホント言葉選びってめんどくさいの。
すっごいめんどくさい。すげぇめんどくさい。ものすごいめんどくさい。ほら、いまだって「すごい」って言葉の言い換え表現を放棄してる僕がいる。それくらいにめんどくさい。
あとあれだ。「あとで直せばいいや~」って感じで投げるってのもある。で、後で直さないってのも原因の一つである。
まあいろいろ書いたけどアレだ「楽しちゃう」ってこと。疲れてくると「楽しちゃう」ってこと。結果として「キャラの挙動を表す言葉が全部同じになる」ってこと。でもこれはホントによくないし、気を付けるべきだと思う。
そして同時に「自分に甘いという事実」に僕は、思わず嘆息してしまうのだ。