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ラスドラ3話・4話・5話

【まるで全てが夢のようだった1】

 鳴り響く目覚まし時計の音が気持ちよくまどろんでいたトモナリの意識を無理矢理覚醒させる。
 目覚まし時計のアラームを止めて起きることに抵抗するように布団を引き寄せて丸くなった。
 
 死ぬほど頑張って戦ったんだ、少しぐらい寝ていてもいいだろうにと思った。

「トモナリ! いつまで寝てるの!」

 再び眠ろうとしていたら部屋のドアが激しく開かれる音がしてトモナリは飛び起きた。
 思わず腰に手をやったけれどパジャマ姿のトモナリの腰には何もない。

「……何やってるの?」

 ベッドの上で低い奇妙な体勢を取ったトモナリを怪訝そうな顔で見つめているのは母親のゆかりだった。

「母さん?」

「そうよ。この家に他に誰がいるってのよ?」

 トモナリは腰に手をやったままの体勢で大きく目を見開いてゆかりの顔を見つめる。
 ゆかりはトモナリの様子がおかしくて不思議そうに片眉を上げた。

「母さん!」

「……どうしたのよ、いきなり」

 トモナリはベッドから飛び降りるとゆかりの胸に飛び込んで抱きしめた。
 一瞬悪ふざけかなとゆかりは警戒したけれど、顔をうずめて強く抱きしめるトモナリにふざけている様子はなかった。

 よくある思春期の息子の行動にしては異常なものだが息子との抱擁などいつぶりだろうかと少し困ったように微笑んだ。

「母さん……生きててよかった……」

「どうしたの、この子は……」

 涙すら溢れそうになるけれどトモナリはなんとか涙を堪える。

「悪い夢でも見たのかしら?」
 
 ゆかりは困ったように笑いながらもトモナリの頭を撫でた。
 昨日なら手を払われただろうに今日は大人しく撫でられるトモナリに本当に悪夢でも見たのだろうと思った。

「母さん……」

「どうしたの?」

「愛してる」

 今度はゆかりの目が驚きに見開かれた。
 ゆかりの中で現在中学3年生のトモナリは思春期真っ只中で、反抗期というほどに強く当たることはなくても母であるゆかりに甘えた態度を取ることは無くなっていた。

 寂しいとは思いつつもこれが親離れというものなのだろうと思っていたのだが、トモナリはゆかりの目をまっすぐに見つめている。

「ほんと……どうしたのよ?」

「…………夢を見たんだ」

 長い夢。
 人類が追い詰められて滅びていく。

 必死に抵抗したけれどそれでもどうしようもなくて最後には人類は邪竜に敗北した。
 恐ろしい夢で二度とあんな経験はしたくないとトモナリは思った。

 トモナリの母親であるゆかりも戦いに巻き込まれて亡くなった。
 力がなくて、守ることもできなくて、大きな喪失感を覚えた記憶が最後まで伝えてあげることができなかった言葉を口にさせる。

「よほど怖い夢だったのね」

 こんな弱々しい息子の姿にゆかりはただ頭を撫で続けてくれた。

「ほら、そろそろ準備しなさい。学校に遅れるわよ」

 母親としてはいつまでもこうしていたいぐらいの気持ちがある。
 ただ思春期で嫌がるかもしれないトモナリの部屋を訪れた理由はトモナリの学校の時間が迫っているからだった。

「……うん」

 色々と考えを整理したいところであったけれど今はゆかりを困らせたくない。
 トモナリは優しく微笑むとゆかりから離れた。

「……それとあれは何かしら?」

「あれ?」

「枕の横にあるやつよ」

 なんのことか分からなくてトモナリが振り返る。

「ほんとだ」

 トモナリが寝ていたベッドの枕元に黒い丸い物が置いてあった。
 それが何なのか記憶になくてトモナリは首を傾げた。

「そこら辺で石でも拾ってきたのかしら? まあいいわ。朝ごはんもできてるから早く準備していらっしゃい」

 ゆかりが出ていって、トモナリは枕の横に置いてある黒い丸い物に手を伸ばした。

「石……いや、卵か?」

 吸い込まれそうなほど真っ黒なそれは卵に見えた。
 しかし黒い卵なんて見たこともない。

 やっぱり卵に似た形をした黒い石だろうかと首を傾げる。

「こんな物拾ったことがない……そもそもこの状況は何だ?」

 トモナリは記憶を辿ってみようとする。
 だけど少し前の記憶として思い出せるのは下半身が消し飛んで死にかけている胸くその悪い状況だった。

 色々な戦いがあって、屈辱的な出来事もあって、悲しい出来事もあった。
 何年もの記憶を思い出してようやく今の状況近くまで辿ることができた。

 まるで人生を一度歩んできたようだとトモナリは奇妙な感覚を覚える。
 今こうして生きている以上経験してきたように感じる記憶の数々も悪い夢だったのだとトモナリは思い込もうとする。

「まあいい」

 あまりぼんやりと考え事をしているとゆかりが怒り出す。
 トモナリは部屋を見回して壁にかけてある制服に着替えた。

「……細い体だな」

 トモナリは自分の体を見て舌打ちした。
 体型的にはごく一般に近い。

 しかし夢の中の自分は必死に生き延びるために意外と鍛えていた。
 それと比べると何のトレーニングもしていない微妙な体に自分の目には映ったのだ。

「遅いじゃない」

 ゆかりはエプロン姿からスーツ姿に変わっていた。
 テーブルの上には目玉焼きと焼いたウィンナー、それに炊き立てのご飯とオレンジジュースが置いてあった。

 我が家のいつもの朝食は記憶と変わりがない。

「私は先に行くから戸締りはお願いね」

「いってらっしゃい」

 トモナリが席に着くとゆかりは慌ただしく家を出ていった。

【まるで全てが夢のようだった2】

 家を出ていくゆかりの背中を見送ってトモナリは朝食を食べ始めた。
 まずはウィンナーから一口。

 少し焦げ目がつくぐらいに焼かれたウィンナーはパリッと音を立てて弾けるように割れた。
 なんてことはないどこにでもあるような既製品のウィンナーであるが安定した美味しさがある。

 続いて目玉焼き。
 トモナリの好みに合わせて黄身が半熟に焼かれている。

 箸で黄身の真ん中に穴を開けて醤油を垂らし入れて食べるのがいつものやり方だった。
 黄身が垂れそうになってすするようにして目玉焼きを口に運ぶ。

 口の端についた黄身をはしたなく舌で舐めとり、次はウィンナーを醤油が混ざった黄身につけて食べる。
 なんてことはない日常が胸に熱いものを込みあがらせる。

 感情を押し込むように朝ごはんを一気に食べてトモナリも家を出た。

「まさか住宅街に感動する日が来るとはな……」

 なんてことはない景色にまた胸が熱くなる。
 どこにでもありそうな住宅街、雲一つない青空、急ぐこともなく歩く人々。

 こんなものを見て感動する人など今はいない。
 だがトモナリにとっては時として焦がれるほどに求めた世界であった。

「……いけね!」

 学校の時間が迫っていた。
 トモナリは慌てて走り出す。

「ハァッ……ハァッ……この体……」

 少し走っただけなのにすぐに息が切れる。
 記憶の中で成長していた自分の体ならもっと走れたのにと息を整えながら早歩きで学校に向かう。

 最初は学校どこだっけなんて思っていたけれど歩いていると意外と体が覚えているもので迷うことなくたどり着けた。

「チッ……少しは鍛えとけよ……」

 自分の体で鍛えてこなかったのも自分なのにトモナリは思わず舌打ちしてしまった。
 三年二組がトモナリのクラス。

「おっ、来やがったぜ」

「どんなリアクションするかな?」

 ああ、そうかとトモナリは思い出した。
 この時期の記憶が薄い。

 それはなぜだったろうかと考えていたがようやく理由が分かった。
 机にいたずら書きがされている。

 バカにするものや直接的に死ねなんてことも書かれている。
 誰がやったのかは分かりきっていて、教室の隅で集まってクスクスと笑っているクソみたいな男子たちだ。

 トモナリが何かするのを期待して見ているけれどトモナリは一度小さくため息をつくとそのまま席に着いた。

「くだらねぇ……」

 イジメを受けていた。
 だから日々が嫌で、灰色に塗りつぶされたようで、覚えていないのだ。

 けれど今のトモナリは世界が滅びるほどの経験をしてきた。
 イジメなど隣の人が咳をした程度の取るに足らないことにしか感じない。

 どうして昔の自分はこの程度で参ってしまっていたのか疑問に思ってしまうぐらいである。

「なんだよアイツ……無視かよ?」

「つまんね」

 何のリアクションもしないトモナリに男子生徒はつまらそうな顔をしている。
 他のクラスメイトは何も言わない。

 次に自分がターゲットになったら嫌だからだ。
 そして先生が入ってくる。

 教卓の位置からでも机の状態は見えるはずなのに何も言わない。

「愛染さん」

 朝の連絡事項などの確認を終えて先生がトモナリに声をかけてきた。

「机のいたずら書き、消しなさい」
 
 けれども先生の目的は机の状態を見てイジメを心配するなんてことじゃない。
 ただ単に机をきれいにしろと言いに来たのである。

 事なかれ主義のクソ教師というのが今のトモナリが抱く先生への印象だった。
 どう見たって自分でやったわけじゃないのにそこについては何も触れずにただ机のいたずら書きを消せというのは自分のためである。

 机をそのままにしておくと他の先生にバレるから消せというのだ。

「イヤです」

「はっ?」

「俺はこのままでも構いません」

 事なかれ主義で生徒間の問題に手を出したくないのならそうすればいい。
 ただしトモナリもただでやられてやるつもりは毛頭ない。

 担任の先生に訴えかけても無駄なことは分かっている。
 けれど他の先生はどうだろうか。

 イジメを隠蔽しようとするのならやっても構わないがトモナリが進んで加担することはしない。

「机は学校の備品です! きれいにしなければいけないでしょう!」

 反抗的なトモナリにカッとなった先生が声を荒らげる。
 知るかボケナス、という言葉を飲み込んでトモナリはニコリと笑ってやる。

「では帰りまでにきれいにしておきます」

「なっ……」

 あくまでも今動いてやるつもりはない。
 椅子にふんぞり返ってトモナリは挑発的な目で先生を見る。

「あなた……!」

 その時予鈴のチャイムが鳴り響いた。

「次の授業、始まりますよ」

 イヤでも時間は流れる。
 先生が威圧的に睨みつける間にも次の授業までの時は迫っていた。

「消しゴム……どうして筆記用具も出していないの!」

 トモナリは動かない。
 ならば自分で消そうとした先生だったがトモナリは筆箱すら出していなかった。

「誰か消しゴムを貸しなさい!」

 もうすぐ授業を受け持つ先生が来る。
 担任は早く消さねばと慌てたように周りを見るが、巻き込まれたくない生徒たちはトモナリの席から離れて遠巻きに様子を眺めていた。

「騒がしいですね……何をしているのですか!」

 先生がトモナリの前の席の子の消しゴムを掴んで机のいたずら書きを消そうとした。
 ちょうどそのタイミングで次の授業の先生が入ってきた。

【まるで全てが夢のようだった3】

 良い角度、とトモナリは思った。
 入ってきた先生からもトモナリの机のいたずら書きはバッチリ見えた。

 それを担任の先生が消そうとしているのだからひどく怒りの表情を浮かべて担任の先生を止めに入った。

「えっ、いや……これは……」

 困ったような担任の先生が振り返るとトモナリの態度は一変していた。
 偉そうに椅子に座っていたはずのトモナリは足を閉じて座り、ややうなだれて泣きそうな目をしていた。

 内心少し恥ずかしいがこれぐらいやってみせる。
 トモナリの変わり身に担任の先生は言葉を失う。

「来なさい! 授業は自習だ! 机はそのままにしておきなさい!」

 どうなることかと思ったがたまたま最初の授業の先生は学年主任を務める真面目な人だった。
 担任の先生は怒りで赤っぽくなった学年主任の先生に連れて行かれて教室は騒然となった。

 自習でラッキーなんて喜べる生徒はいない。

「おい!」

 この状況にまずいと思ったのはいたずら書きをした男子生徒たちである。
 誰が書いたのか周りの生徒も見ている。

 言い逃れできる状況ではなくトモナリに詰め寄る。
 トモナリに詰め寄ってきた伊佐見海斗(いさみかいと)という生徒が今回のいじめの主犯なのである。

「消せよ!」

「なんでだよ? 消すなって言われたろ?」

 先生たちがいなくなってまたもトモナリはふてぶてしい態度に戻る。
 学年主任の先生に言われずとも消すつもりはないけど言われたからと言葉を盾にする。

「うるせぇ! さっさと消せよ!」

 トモナリのひょうひょうとした態度にカイトは怒りで顔を赤くする。

「はっ、お前が消えろ」

「何だとテメェ!」

 トモナリの挑発にカイトが乗せられた。
 カイトがトモナリに殴りかかる。

 一発顔に食らったトモナリはそのまま椅子から転げ落ちて床に倒れる。

「早く消せっつってんだよ!」

「ヤダね」

 トモナリは床に転がったまま笑った。
 それで完全にカイトの頭に血が上った。

「ぶっ殺してやる!」

 カイトがトモナリに馬乗りになった。
 トモナリは振り下ろされた拳を腕でガードするとカイトの胸元に手を伸ばした。

 胸ぐらを掴むと一度上半身を持ち上げ、体ごとグッと引き寄せる。
 地面に倒れたトモナリにカイトが覆いかぶさるような形になる。

 ほとんど密着状態で殴ろうにもその隙間がなくなる。

「テメ……放しやがれ!」

「放してくださいだろ?」

(こいつ……こんな目してたっけ?)

 額が触れ合いそうになりながらカイトはトモナリがこんなに燃えるような瞳をしていただろうかと疑問に思った。

「放せ」

「こんなのも振り解けないのか?」

 バカにしたように笑うトモナリにまた怒りが込み上がる。
 トモナリは冷静だった。

 周りはトモナリとカイトのことを固唾を飲んで見守っていて思いの外静か。
 音がよく聞こえる。

 担任を連れ出した学年主任の先生が慌ただしく戻ってくる足音もしっかりとトモナリの耳には聞こえていた。

「ほら、殴ってみろよ」

 トモナリはカイトから手を放して頬を差し出した。

「ぶっ殺す!」

「伊佐見さん!」

 カイトがトモナリの頬を殴った。
 それより一瞬早く入ってきていた先生たちはカイトがトモナリを殴るのをバッチリ見ていてすぐさま止めに入った。

 こんなパンチなんてことはない。
 下半身が消し飛んだことに比べればダメージなんてあってないようなものだ。

 ただこのまま余裕の態度で立ち上がればカイトの罪は軽くなる。
 ここはカイトが極限まで悪くなるように振る舞わねばならない。

(そういえば……眠かったな)

 朝ももっと寝ていたかった。
 ふとそんなことを思ったトモナリはそのまま目を閉じて動くことをやめた。

「愛染さん? 愛染さん!」

 殴られたトモナリは教室の真ん中で大の字になって寝転んだまま動かない。
 学年主任の先生が慌ててトモナリの肩を揺するけれど全く反応がなくて顔が真っ青になる。

「殺した……」

 誰かがボソリとつぶやいた。

「こ、殺してなんかない!」

 たかだか一発殴っただけ。
 普通ならば人が死ぬなんて思いもしないがぶっ殺すと言って激しく殴りつけた相手が動かなくなった。

 普段は冷静な学年主任の先生の顔が青くなっていて教室の空気はとてもじゃないが普通ではない。

「殺してない……殺してなんかいない!」

「早く救急車を呼んでください!」

 トモナリのそばにいる学年主任の先生にはトモナリが呼吸をしていることは分かっている。
 しかし気を失うほどに殴られたらどんな影響があるか分からない。

 学年主任の先生が救急車を呼ぶようにいっても先生たちすら動けないでいる。

「早く!」

 怒鳴りつけられるようにして担任とは別の先生がスマホを取り出した。
 程なくして救急車のサイレンが鳴り響いてきて学校全体が騒然となったのは言うまでもなかった。

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