※架空の映画の架空の感想です
映画「ようこそ吹奏楽部へ」を見たら自動車に轢かれたも同然の大ダメージを受けた。
私はいろいろあって学生時代「みんなで1つのことを成し遂げ泣いたり笑ったりしよう」というイベントを楽しむことができなかったのだ。
映画を見ている最中は「自分はこの部活動に一応最後まで参加しているけど画面には後頭部しか映らない田中くんポジだな」と思えて非常に心が重くなった。
燃え上がった青春コンプレックスの火傷跡にデスソースを塗られるような過酷すぎる体験であったが
田中くんに出会えただけでも意味はあったと言いたい
田中くん。そのフルネームは田中黒衣という中二病めいた字面であり、主人公が所属する吹奏楽部の一員である。
その特徴は「ただいるだけ」なことなのである。
まず、三年間の吹奏楽部の活動を描いたストーリーの中で彼の顔は一度たりとも映っていない。部員の集まりでは前を向いている後頭部のみ登場し、練習シーンでは楽器を吹いている後頭部か、楽器の手入れなど下を向いている頭頂部のみ登場し、全員の感情や表情を移す重要なシーンでは壁際によりすぎて顔が絶妙に画面外に見切れているという徹底ぶりである。
そして「田中」という名前はメインキャラの先輩と被っているため、田中といえばまず田中パイセンが思い浮かぶため、田中くんを思い出す人は少ないのだ。
それから全編を通して田中くんは「いるだけ」なのである。夏休み返上でも練習は休まないし、後頭部だけの姿で周りの部員とは事務的な言葉を交わすシーンも多い、部員の一人が部活を辞めますといって騒然となっているシーンでも後頭部だけの姿でやたら画面の手前にいたりもする。
そしてメインキャラとの絡みや部活を辞めるような劇的なイベントもなく、常にいるだけのまま大団円を迎えるのである。
全員にキャラデザがあり、名前があり、設定があり、サブはいてもモブはいないという獣じみた作風の中でこうも記号キャラに徹していて「ただいるだけ」で一貫している異彩を放つキャラ、それが田中くんである。
自分が青春ストーリーやスポコンもの見ると自動車に轢かれたようなダメージを受けるのは
登場人物全員が全国大会などをを目指してひたむきになる青春ストーリーの中に、自分と近しい立場の者がおらず、息がつけないことだったのだ。
これがわかっただけでも「ようこそ吹奏楽部へ」を見て良かった。
私が今後何かを作る機会があれば、モブ同然のサブは大事にしていきたいと思っている。