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痛みを以て人は気付く。縄張りを追われた者の虚しさを。


 最近、AIに関する「遺憾」記事が増えた気がする。元々「AIはすごい!」とか「AIおとぼけ集」とか、のどかな関わりはあったと思うのだが、今はどことなく剣呑な雰囲気だ。

 何らかの事態があったのだろうと思うが、知らないことを得意げに話しても仕方がないので、無用な推測は控えることにする。



 地元の駅近にショッピングモールができた時、商店街にあった多くの店がそのあおりを受けた。
 抵抗した人も多少はいたが、多くは「こりゃあ勝てねえよ」となり、実際に立ち退いていった。

 そんなショッピングモールもまた、Amazonによる通販革命が発生した時にぐらつき、
 そしてコロナウイルスが猛威を振るった時に屈することになった。

 同様のことは、Googleによって立ち退いた数多くのサービスもそうだろうし、
 世界的なチェーン店が多くの飲食店を追い込んだのもそうだろうし、
 SNSやコミュニケーションツールが手紙や電報を追い込んだのもそうだろう。

 便利さというのはそういうものだ。

 私たちは享受し続けてきた。それを心から欲し、喜び、当たり前のように使ってきた。
 それによって「追い立てられた」人々のことなんて考えもしないし、その必要もなかった。

 それが、自分達の領域に「便利」が踏み込んできたらこれだ。
 創作とビジネスを一緒にするな、と思われる方もいるかも知れないが、商店街にいた多くの自営業からすれば、今まで積み上げた実績も、温かな交流もすべてロードローラーでつぶされた。
 人々の助け合いなど、状況次第で幾らでも形を変えることを知ったのだ。



 この剣呑がいつまで続くのかはわからないが、いずれは終わるだろう。

 今までの歴史は散々と語ってきた。便利なものに人は勝てない。GoogleやAmazonが潰えるビジョンが見えないように、AIもまたその影響性に賛否両論ありながらも続いていくだろう。

 表舞台から消える可能性を考えるなら、それはAIが「やり過ぎて」、核だとか、(オゾン層を破壊した)フロンのような扱いになってしまうということだが、
 それでもこの性能と汎用性を諦める理由はどこにもない。
 目を逸らしても事実は消えない。

 そもそもこの剣呑な雰囲気自体、創作者という界隈では由々しきものだろうが、
 世間一般からすれば「すごいなあ」のニュースなのだろう。風景が田舎も都会もどこも一緒になるような寂しさはあるだろうが、それでも世間はすべての便利さを包含しながら動いていくのだろう。

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