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孤独と欲求


 孤独な人は創作に走りやすい。

 表に出さずとも、妄想に耽ったりする。まあ「妄想する」ということは、「創作する」と半分程度は同じ素材で出来ている。

 蛇口をひねり出しまくり、収拾つけられず、形定まらずともお構いなしなのが「妄想」。その制約の少なさから、短期間において、創作の比較にならないほどの出力が解き放たれる強みはある。

「創作」は維持がどうしても関係する。やり方というものがある。それ故にもどかしい思いを何度もする。自分の脳内通りに、周りを爆発させるのは難しいのだ。ただ蓄積は出来る。だから長期的には超大作が出来る可能性が生まれる。

 孤独な人というのは、自分の欲求をどんな形で受け入れてもよい資格がある。真正面からモロに受けても、斜に構えても、研磨しても、叩き切ってもいい。ある人の趣向なら、その欲求に「踏みつけられて」悦に浸ってもいいのだ。
 人との繋がりがあると、これが難しい。どうしても最大公約数的になる。共通項でないとなかなかギクシャクする。本当にウマが合うと、お互いに認め合って、最小公倍数みたいに広がってくれる(元の数より大きくなる)可能性もある。

 それでも元より孤独な人並には変えられない。ある物事への受け取り方が昨日と今日、今日と明日とでころりと変わってしまう人は、人付き合いも難しかろう。「共通項(正解)」がない。
 だから、あの人は「知り合い(遠くから見る)としては面白いけど、友達にはなりたくない」というコメントがつけられることになる。

 欲求を妄想にしたり、創作にしたりする。創作には一定の時間がかかる。そもそも「同じ欲求」をある程度の期間保持しておくこと自体が難しい。
 だからこそ、誰かとの雑談で消費してみたり、イライラの発散とともに吹き飛んだりする。

 孤独な人はその点、キープするもリリースするも、好きに出来る。ちなみに巷では、前者のことを「抱え込む」というらしい。

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