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「人間を相対化する」不可避のテーマ

 最近は専ら「龍狩りに龍を連れていくのはご法度ですか?」を更新しています。
 もともとは1話ごとに1種のドラゴンを扱う日常系の作品にしようと思っていたのですが、書いてるうちに少し毛色が変わってきました。
 もし「初期案の方がいい!」という読者さんがいれば軌道修正しますが……。

 というのもなんだかテーマ性がでてきたのですよ。
 なぜ龍を狩るのか、龍と人間の対立は正当なのか、というテーマは原案時代からあって、サーシャがそのイデオロギーに対するアンチテーゼの旗手だったわけです。
 で、今、それを掘り下げてもいいかなと。

 このままの筋書きで進むと、メタモーフはとても知能が高いことが明らかになり、龍に味方して狩人を狩るアンチヒロインが出てきます。
 そこで「人間とは何か?」という生物学的な問いかけ、文明比較的な問いかけが出てくるわけです。
 龍というアンチテーゼによって人間存在を客観視できると考えているわけです。
 それが題に上げた「相対化」の意味です。

 つまりこの作品は龍と人間の対話篇である「静止軌道の観測者」のリブートであるとも言えそうです。

 僕は今まで他にも人間中心主義批判的な作品をいくつか書いてきました。
「人間は特別な生き物、動物とは違う、人間こそ至高」といった思い込みが思い込みであることを明かそうという、いわゆるアンチアントロポモルフィズムです。
 例えば、心水体器シリーズではブレイン・マシン・インターフェースを介した身体領域の拡張によって人間と他の動植物、あるいはAIを質的に同化させようとしています。
 「エンジェル・ストライクに気をつけろ」では天使の存在が人間を進化の「下位」に位置づけています。

 意図的にそのテーマにこだわっているわけではないのですが、練っているうちに近づいていってしまうみたいです。


 ただ「龍狩り」が今までの作品と違うのは人間の特異性がむしろ自明のものであるという点です。
 「龍狩り」の世界ではリアル世界の哺乳類に代わって龍と鳥がヘゲモニーを握っている設定です。そこになぜか人間だけが割り込んで近世並みの繁栄を手にしている。
 龍と人間の対立もわりとあからさまにしているので、テーマを取り出すのはわりと容易な方だと思います。
 心水体器みたいな込み入った複雑な感じにはしないつもりなのでご安心ください。

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