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もっとも美しい仏さま

先日、京都の禅林寺永観堂へ行って参りました。毎年紅葉シーズンで、夜間ライトアップをしているのです。
見頃にはまだまだ早かったですが、とても綺麗でした。

と、永観堂のご本尊は阿弥陀さまです。しかも、普通の阿弥陀さまではありません。背後を振り返っているお姿の、「見返り阿弥陀」なのです。

見返り阿弥陀には、こんな逸話があります。

(以下ホームページより)
永保2年(1082)、永観50歳のころである。2月15日払暁、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道していた。すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられた。永観は驚き、呆然と立ちつくしたという。この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、
「永観、おそし」
と声をかけられた。永観はその尊く慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われている。

来迎図などで「阿弥陀さまがお迎えに来る」お姿はよく見受けられますが、こちらの阿弥陀さまは「遅れる者を待っている」お姿なのです。自分の後ろをついてくる者が置いていかれないようにとするさまは、まさしく慈悲の結晶です。

で、この阿弥陀さま。この見返るフォルムがあまりにもお美しいのです。しなやかなお体のライン、ほどよい肉付き、振り返ったときの首筋、すべてにおいて満点のお色気。守りたい、このどエチ。
私は、数ある仏さまの中でも、見返り阿弥陀さまは最高峰だと思っています。

6件のコメント

  • 正覚坊さんの手の美しさに感動しています🙏
  • イカワさん

    私のおててですか(^○^)。
    ほとけゆずりのキレイなおててです(大嘘)。

  • 美しいおてて。爪の色もキレイ。
  • 結音さん

    あらまっ♡
    ありがとうございます(^○^)。
  •  最も美しい仏像ということで、自分的に思い浮かんだのは弥勒菩薩の 半跏思惟像です。
     仏像という枠を越えて、全てとろけ出てしまったかのような姿。美術的な価値もさることながら、仏法の説く一元の世界=自他のない、在るがままにある世界を実に的確に表現していると感じます。

     見返り阿弥陀如来は確かに美しい。ですがこの頃の阿弥陀如来は「死者を浄土へ迎えに来る仏」。
     「生きとし生けるもの全てを救う」生きるための仏という真価を見出だされるには、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞の出現を待たなければならない。
     その思想を以てようやく、大乗仏教が大乗仏教として完成する……阿弥陀如来が美しいとするなら、その哲学が美しいのだと思います。

     っつか、如来像はどれもこれも定型過ぎて像としてはぶっちゃけつまらんのである。

     そこへきて、見返り阿弥陀は定型や仏法とか哲学とかからあえてはみ出した「情」を感じる……それが美しいのだと思います。
  • 木下さん

    半跏思惟像は美しいですよね。観音や如来とは異質の、仏像らしからぬ美しさを持っていると思います。あと、ニコッてしてるのがかわいい♪

    「お迎えに来る」阿弥陀さまは、いわば「当たり前」なお姿なんです。こう言っては私が傲慢な考えなのかもしれませんが、阿弥陀さまが四十八誓願を立てた限り、衆生を救ってしかりなのです。でもこちらが救われるには、修行だったり念仏をしなければならない条件がちゃんとあります。
    私は自分ではもう地獄行き確定の救いようのない人間だと思っているのですが、この見返り阿弥陀さんを見ていると、そんな自分のような人間のことまでもを浄土で待ってくださっているような気がして、泣けてくるのです。木下さんのおっしゃるように、救うばかりではない「情」のある阿弥陀さんだからこそ、美しいと思うのでしょうね。


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