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毘沙門天フル装備

仏像の毘沙門天、だいたいはこんなお姿よ、というだけの図解イラストです。
天部像の甲冑のほとんどは、中華風です。それこそ、漫画キングダムの将軍さまたちが身につけているような、ああいうふうな鎧です。

で、ですね。私、中華風甲冑の構造、あまりよくわかっていないのですよ。Googleで調べても、中華風の鎧はなかなか詳しく出てきてくれません。イラストも、図録を見様見真似で描いてまして。
正直、どんな手順で来ているのかとか、部位の名称とか、正確にはわからないのです。

一回、毘沙門天には甲冑をぬぎぬぎしていただきたいですね。着てるもの全部、剥ぎ取りたいですね。
私は、甲冑の中に秘められている彼の肉体が見たい。そうだ、甲冑なんぞはどうでもよいのだ。

いや、やっぱり脱がないで。想像するのが、人生一番楽しいので。彼の真の姿を封じ込める甲冑は必要不可欠。

17件のコメント

  • ↑ イメージ的には唐代の甲冑ですよね、7世紀〜くらいかなぁ……。

    毘沙門さんが日本に来たのは飛鳥奈良くらいと仮定すると、もう少し原始的な甲冑を纏っておられたかもしれないですね。
    三国志時代の甲冑って、もう少しシンプルで素朴だったんじゃないかと思ってみたりします(マジレスすな)

    私の毘沙門裸像は、力士が近いですねぇ(にまにま)
    現代の肉襦袢みたいな力士じゃなくて、こう、隆々とした筋肉がしっかりわかる程度に脂肪を纏っている感じでしょうか。
    浮世絵の力士像みたいな感じが理想です(笑)
  • 天部が日本へ入ってきたのはやはり聖徳太子が四天王寺を建立したことが大きいと私は見ています。私の小説の宣伝になってしまって申し訳ないですが、第二部において、
    聖徳太子が、四天王特に毘沙門天の啓示を受け、蘇我氏と共に物部守屋を倒した後、その守護に感謝して建てたものです。そのお姿が仏像になっているということは、甲冑は7世紀前半、即ち隋から唐にかけての装束と言えるでしょう。
  • 古博さん

    ですね〜!
    これまで私が見た毘沙門天の甲冑は、だいたいイラストのようなデザインがメジャーのようでした。でも、中国のものとか、もっと年代のさかのぼりそうな毘沙門さまだと一段と古風なお姿なのかもしれません。
    実際どうなのかは定かではないですが、毘沙門天像自体が流行したのは唐代なのです。なので、甲冑の作風もこの時代のデザインが定着したのかなとも考えています。

    私も、毘沙門さまは浮世絵の力士だと思ってます!そう!
    筋肉隆々というよりは、ごりっごりの筋肉の上に肉厚たっぷりな脂肪が乗ってる感じ。なんかもう、ただの巨漢ですね。しかしそんな毘沙門さんを想像すると、なんだかころころしてそうでかわいいなと思います♡
  • 山谷さん

    私も、同感です。
    太子時代は、阿弥陀さまや大日さまの信仰以前、天部(四天王)による護国の信仰がさかんな期間でした。太子が毘沙門天の啓示を受けたというエピソードは、信貴山にも伝わる有名な説話ですよね。
    が、毘沙門天信仰に関しては坂上田村麻呂も欠かせません。蝦夷との戦いに勝利した証として東北の地に毘沙門天像を建てたという話も有名で、実際にそのあたりの時期を期に作例も増えているもようです。

    一方中国では、安史の乱をきっかけに毘沙門天信仰が隆盛したようです。当時多かった作例が、兜跋毘沙門天でした。日本でもよく見受けられる兜跋毘沙門天ですが、そのような中国の風習の影響を大いに受けてのことだろうと思います。
    大陸文化の背景も、見逃せませんね。
  • こんばんは。

    甲冑……、お詳しいですね!
    いやー、堂々として立派な甲冑すがたのです!
  • 唐代の甲冑リンクです。最初のリンクだけ Google 翻訳で日本語にしてあります。ほかは翻訳すると図が消えてしまうので、中国語の原文のリンクです。それぞれ Google 翻訳で画面を横並びにして見るといいと思います。

    唐代で人気だった「明光鎧」の記事
    https://twgreatdaily-com.translate.goog/LuG7XncB9wjdwRpvA829.html?_x_tr_sl=zh-TW&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=wapp

    唐代の鎧の歴史と種類について
    https://kknews.cc/history/eaqezky.html

    唐代には「紙」の鎧があった!
    https://wapbaike.baidu.com/tashuo/browse/content?id=5f49614e6de05564eff48e6c

    映画用に鎧を作っているビデオ (腰まわりの鎧は小さな金属をつなぎ合わせているので体に沿って動くことが判ります)
    https://www.toutiao.com/video/6908961331727368711/?source=seo_tt_juhe

    ご参考までに♪

  • あーっ! 甲冑についての情報を出そうと思ったらイカワさんに正解を言われてた! チィッ……情報を小出しにして遊んでやろうと思ってたのに!(おい)

     そう、四天王の鎧については主に唐の時代の甲冑がモデルなのです。
     鎧には金属の「鎧」と革性の「甲」があり四天王のは「甲」、その胸を円護(丸みを帯びた金属板)で補強した「明光鎧」の発展形がまさに四天王の鎧のようです。
     その辺の資料としては『歴史群像シリーズ 図説・中国武器集成』『神仏のかたち 四天王』で少し触れられています。武器集成の方には簡単ながら脱着図もありますね。

     腹いせに毘沙門天クーイズ(唐突)!
     毘沙門天の武器であり持物である「宝棒」。この正式名称を漢字6文字でお答え下さい!
     
  • イカワさん

    こんなにたくさんのリンクをありがとうございます!
    鎧も、時代によってさまざまなんですね!

    てか、明光鎧がかっこよすぎる。。。画像見ながら、めちゃんこ萌えました。
    あれ、毘沙門天萌えももしかして、本人に萌えてるんじゃなくて甲冑に萌えてる説??

    ありがとうございました!
  • 木下さん

    ふっふっふ、イカワさんには敵わぬよ。

    ほへー、木下さん甲冑にお詳しい!甲冑先生ですね!
    『歴史群像シリーズ 図説・中国武器集成』、めっちゃ欲しいナ!着脱図があるのがありがたい!ちょうど、毘沙門天を脱ぎ脱ぎさせたいけど甲冑の仕様がわからず困ってたんです!

    く、クイズ_:(´ཀ`」 ∠):
    宝棒の正式名称、6文字だと……!?6!?
    如意宝棒ではないのか……!?
    (クッ、毘沙門オタクを名乗っておきながらコレを答えられぬとは、く、悔しいっ!!)
  • 加須さん

    この堂々さ、甲冑の重々しさがたまらないの(๑>◡<๑)。
    ん""〜、でも一回は脱いで欲しい♡
  • おまけ
    甲冑のパーツの名前が発音付きで書いてあるのを見つけました。
    https://zhuanlan.zhihu.com/p/597835530

    あと、毘沙門様は八月四日生まれだったんですね……。知らなかった。「農曆八月初四」というのは「旧暦の八月四日」という意味らしいです。
    https://www.facebook.com/photo/?fbid=1431792120249433&set=a.366193803475942

    私のは付け焼き刃なんで、木下さんの本気度には叶いませんよ……。

    あっ、でもクイズの正解を見つけました! 毘沙門様のお経があるとは! さすが人気天だなあ。


  • イカワさん

    追加情報ありがとうございました!

    え、毘沙門さん、お誕生日8月4日だったの!?あらまぁ〜!!✨
    来年から生誕祭やります!!

    『毘沙門天王功徳経』で、「如意宝珠の棒」なら見つけた!
  •  ほう……『仏説毘沙門天王功徳経』に気づくとは……!
     そう、宝棒は「震多摩尼珠宝(しんだまにじゅほう)」、ついでに宝塔は「普集功徳微妙(ふしゅうくどくみみょう)」が正解です!
     戟(げき)には特に名前はみあたりませんでした。

     宝棒は武器というより福徳、財宝を与えるという記述ですね。如意宝珠と同一存在とされるようです。

     弁才天や大黒天にも漢字は違うけど同名の宝珠に関する記述があったり、ダキニ天=「辰狐をシンダマニ王(如意宝珠の王)と呼ぶ」など、福神の共通アイテムっぽい。そもそもそのあたりの神が同一または関係の深い存在ともされているようです。

     ……宝棒と宝塔の名前は、実は差し上げようと思ってた資料に載ってたものです。でも正直そこ以外はあんまり面白い資料じゃなくて……。
     正覚坊さんなら別の価値を見出だせるかなあとも思うのですが。私はあまり好きな本じゃないです。
     いる? 『一目で分かる毘沙門信仰の手引き』。
  • 木下さん

    宝棒→「震多摩尼珠宝(しんだまにじゅほう)」
    宝塔→「普集功徳微妙(ふしゅうくどくみみょう)」

    宝塔は聞いたことありましたが、宝棒の正式名称は初耳です!
    弁財天や大黒天、ダキニ天にもゆかりがあるのですね。宝棒、便利だなぁ!


    今一度手元の資料を見返したら、宝棒の名前載ってました!やっぱり功徳経でしたね!

    と、その資料の表紙をよくよく見る。
    →「あれ?」と思って再度木下さんのコメントを見る。
    →まさかの一致。
    →*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

    それって、信貴山千手院のやつですか?
  • (宝棒の正式名称、本編にも追加しとこっと♪)
  •  そうそれ! 古本屋で見つけて、「正覚坊さんが好きそうな本だな~」と思って買ったら「正覚坊さんが結縁したお寺が出した本じゃん!」と気づきました。
     奇遇! まさかもうお持ちとは……!

     私も超読みたいと思って買ったのですが……知識としては、最後らのお経のとこ以外は知ってる内容が多かったので、期待したほどは楽しめなかったのです……。

     しかし宝塔も宝棒も名前が長い上に語呂が良いわけでもないので、創作に使いにくいぜ……!
    「うなれ、俺のシンダマニ珠宝!」とか言うのか……あれ? でも逆にカッコいいのか? 

     それにしても「シンダマニ」で「如意宝珠」という意味なので「シンダマニ珠宝」は「如意宝珠珠宝」という「馬から落馬」みたいな名前なんじゃねえか……!?
  • 木下さん

    やっぱりそうですよね!おそろいだぁ!!
    ちなみに私は、二年前くらいに信貴山で入手しました。
    『毗戦』のプロットを立てるのに、活躍してくれます!

    「うなれ、俺のシンダマニ珠宝」、ちょーっとダサいな(^◇^;)。
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