• 現代ドラマ
  • 現代ファンタジー

徒然日記 part4

ずっとやると言ってやっていなかった森鴎外「舞姫」の現代語訳ですが、今できている分をひと思いに公開いたします。だから今月分は長いです。でも舞姫マジおもしろいから、読みたい方いらっしゃると信じてアップします。どうぞ。




「舞姫」

 石炭を早くも積み終えた。中等室の机のほとりはとても静かで、白熱電球の光の晴れ晴れとした様子もむなしい。今夜は毎晩ここに集まってくる骨牌仲間も「ホテル」に泊まっており、船に残っているのは私一人だ。五年前のことであるが、長年の望みが叶って、ヨーロッパへ渡れとの官命をいただき、このセイゴンの港まで来たときは、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして新しくないものはなく、筆に任せて書いた紀行文は毎日非常に多くの言葉につらなっただろうか、当時の新聞に連載されて、世間の人に賞賛を受けたけれど、今日になって思えば、幼き思想、身の程を知らない無責任な発言、ありふれた動植物や金属、さては風習などまでも珍しげに書き記したのを、分別のある人はどのように思ったことだろうか。今回は旅に出たとき、日記を書こうと思って買ったノートもまだ白紙なのは、ドイツで学問をしている間に、一種の「ニル・アドミラリイ」(何事にも驚かず、無感動なこと)の気性を身につけたからであろうか、いや、そうではなく、これには別の理由がある。
 本当に東へ帰る今の私は、西に渡った昔の私とは違い、学問こそなお心に飽き足らないところも多いが、世の中のつらく悲しいことも知った。人の心が信じられないのは言うまでもなく、私と私の心までも変わりやすいことを悟った。昨日の「よい」が今日は「よくない」とされる瞬間の私の感触を、文字にあらわして誰に見せることができようか。これが、日記が書けない理由だろうか、いや、これには別の理由がある。
 ああ、ブリンヂイシイの港を出てから、早くも二十日あまり経った。世の常ならば初対面の客とも交際して旅の憂さを慰め合うのが航海の習わしであるが、ちょっとした病気を口実にして、船室の中に籠って、同行の人々と言葉をかわすことも少ないのは、誰の知らない恨みに頭を悩ませていたからである。この恨みは初めひとひらの雲のように私の心をかすめて、私にスイスの山の景色も見せず、イタリアの遺跡にも関心を起こさせず、次には世の中を嫌い、自分自身を儚みて、憂いが深く悩みもだえているとも言うべき苦痛を私に背負わせる。そして今となっては、私の心の奥に凝り固まってただ一点の影となっているけれど、文章を読むごとに、ものを見るごとに、鏡に映る影や声に応ずるかのように、限りない懐旧の情を呼び起こして、何度も私の心を苦しめる。ああ、どのようにしてこの恨みを消そうか。もし他の恨みだったら、詩に詠んだり、歌に詠んだ後はすがすがしい心地にもなるだろう。しかしこの恨みはあまりにも深く私の心に刻み込まれているので、そうはならないと思うが、今夜はあたりに人はいないし、ボーイが消灯するまでに時間もあるだろうから、どれ、その概略を書いてみよう。

 私は幼い頃から厳しい教育を受けてきたので、父を早くに失ったけれど、学問を怠ることはなく、旧藩の藩校に通っていた時も、東京に出て予備校に通っていたときも、大学法学部に入ったあとも、太田豊太郎という名はいつも学年のはじめに記されており、一人っ子の私を力にして生きる母の心を慰められたことであろう。十九歳の時には学士の称を受けて、大学が創立されて以来またとない名誉であると人に言われ、某省で働くようになり、故郷の母を東京に迎え、楽しい日々を過ごすこと三年、官長の評判が格別だったので、ヨーロッパに渡って一課の事務を取り調べよとの命令を受け、自分の名を上げるにも家の名を上げるにも今であると思う心が勇み立って、五十を超えた母と別れることをそれほど悲しいとは思はず、はるばる家を離れてベルリンの都にやってきた。
私ははっきりしない功名の気持ちと自分を引き締めることに慣れた勉強力をもって、早速このヨーロッパの新大都の中央に立った。なんという美しい輝きだ、私のこの目を射ようとするのは。何という鮮やかな色彩だ、私の心を迷わそうとするのは。「菩提樹の下」と翻訳するときには物静かな場所であろうと思われるが、この髪のようにまっすぐな大通り「ウンテル・デン・リンデン」に来て両側の石畳の道をゆく何組もの紳士と淑女を見よ。胸を張り、肩がそびえたった将校。まだヴィルヘルムⅠ世が街に臨んだ王宮の窓にもたれて外を眺めていらっしゃった頃だった。様々な色で飾った礼装を着ている姿や、顔のよい乙女がパリ風のよそおいをしている姿、あれもこれも目を驚かさないものはなく、車道のアスファルトの上を音もたてず走るいろいろな馬車、雲にそびえる楼閣が少し途切れているところには、晴れた空に夕立の音を聞かせてみなぎり落ちる噴水の水、遠く望むとブランデンブルク門を隔てて緑樹が枝を交わしている姿、中空に浮かび出る対戦等の女神の像。これらたくさんの景物が極めて短い距離の間に集まっていて、初めてここに来た者が見物するのに時間が足りないというのも、もっともなことである。しかし、私の胸にはたとえどんな場所で遊んでも無駄な美観に心を動かされないという誓いがあって、常に私を襲う五感を通じて心に触れるいっさいのものを遮った。
私が呼び鈴を鳴らす紐を引き鳴らし、名刺を差し出して面会を求め、公の紹介状を出して東方から来た意図や目的を告げた時、プロシアの官吏はみな私を快く迎え、公使館からの手続きさえ無事に済んだなら、何事でも結構、教えもし、伝えもしましょうと約束した。喜ばしいことは、私がふるさとでドイツ、フランス語を学んだことである。彼らは初めて私に会った時、どこでいつの間にこのように学んだのかと問わないことはなかった。
さて、仕事の暇があるたびに、かねてより公の許しを得ていたので、土地の大学に入って政治学を修めよう、名を学籍簿に登録した。
ひと月、ふた月と過ごすと、公の打ち合わせの済み、取り調べの次第にはかどってゆくので、急ぐことを報告書に記して送り、そうでないことは書きとどめて、ついには何巻になったであろうか。大学の方では、幼い心で考えていたような政治家になることができる特別な学科があるはずもなく、これかあれかと心迷いながらも、二、三の法律学者の講義を受けることを決めて、謝金を収め、行って聴いた。

 このようにして、三年ばかりは夢のように過ぎ去り、時が来ると包み隠しても包みきれないのは人の好みであろう、私は父の遺言を守り、母の教えに従い、人が神童だなどとほめるのが嬉しくて怠らず勉強した時より、官長が良い働き手を得たと励ます喜ばしさゆえにたゆみなく勤めた時まで、ただ受動的、機械的な人物になって、自分では悟っていなかったが、いま二十五歳になって、すでに久しくこの自由な大学の風に当たったからだろうか、心の中が何となく穏やかでなく、心の奥深くに潜んでいた本当の自分が、次第に表に現れて、昨日までの自分でない自分を攻めることに似ている。私は自分が今の世で勇ましく盛んに活動する政治家になるにもふさわしくなく、また法典を十分に覚えて罪人に裁きを下す法律家になるにもふさわしくないことを悟っていると思った。私はひそかに思うに、私の母は私を生きたる辞書にしようとし、私の官長は私を生きたる法律としようとしたのだろう。辞書であることはまだ耐えられようが、法律となるのは我慢できない。今まではささいな問題にも極めて丁寧に返事していた私が、このころから官長に送る文書にはしきりに法制のそれぞれの項目にこだわるべきでないことを論じて、ひとたび法の精神を得たならば、こまごましたすべてのことは竹を割ったように解決するだろうなどと大きなことを言った。また、大学では法科の講義をよそにして歴史文学に興味を持ち、次第に面白さのわかる境地に入った。
 官長ははじめから心のままに使える器械を作ろうとしたのだろう。独立の思想を抱いて、人並みでない面持ちの男をどうして喜ぶだろうか、いや喜ばない。危ういのは私の当時の地位であった。しかし、これだけでは、まだ私の地位を覆すには足らなかったけれど、日ごろベルリンの留学生のなかである勢力あるグループと私との間に面白くない関係があって、その人たちは私を疑い、また、ついには私を無実の罪でそしるまでになった。しかし、これもその理由がなくてのことだろう。
 その人たちは、私がともにビールの杯も上げず、ビリヤードのキューも持たないのを、かたくなな心と欲を制する力のためだと考えて、一方では嘲り、一方では嫉んでいたのだろう。でもこれは私を知らないからである。ああ、この理由は私でさえ知らなかったので、どうして他人に知られることがあろうか。私の心はあの合歓という木の葉に似て、物が触れれば縮んで避けようとする。私の心は処女に似ていた。私は幼い頃から年長者の教えを守り、学びの道を進んだのも、また管理の道を歩んだのも、みな勇気があってできたのではなく忍耐と勉強の力と見えるが、みな自らを欺き、他人さえ欺いたからで、他人が私にたどらせる道をただひたすらにたどっただけだ。よそに心が移らなかったのは、ほかのものを捨てて顧みるほどの勇気があったのではなく、ただほかの物を恐れて自ら自分の手足をしばっていただけだ。故郷を出発する以前にも、私が才能に恵まれ、将来の見込みがある人物であることを疑わず、また私の心がよく耐えられることを信じていた。ああ、それも短い間。船が横浜を離れるまでは自分は豪傑であると思っていたが、こらえきれない涙でハンカチを濡らしていたことを我ながら見苦しいと思ったが、これこそまさに私の本性なのである。この心は生まれつきなのだろうか、また、早く父を失って母の手に育てられたことによって生じたのだろうか。あの人達が嘲るのはもっともなことだ。しかし嫉むことは愚かではないか、この弱く哀れな心を。
 赤く白く顔を塗って、輝くように明るく目立つ色の服を着て、カフェに座って客を引く女を見るときには、近寄ってこれと遊ぶ勇気はなく、高い帽子をかぶり、眼鏡に鼻を挟ませて、プロシアでは貴族風の鼻に響かせた発音で物を言う「レエべマン」を見てそれと遊ぶ勇気もない。これらの勇気がなかったので、活発な同郷の人たちと交際するようなこともなかった。この交際が疎いためにあの人たちはただ私を嘲り、私を嫉むばかりで、また私を疑うことになった。それこそ、私が冤罪を背負って少しの間に限りない困難を調べつくす仲人だったのである。

 ある日の夕暮れだったが、私は獣苑を漫歩して、ウンテル・デン・リンデンを過ぎ、私が住むモンビシュウ街の下宿に帰ろうと、クロステル街にある古い教会の前に来た。私はあの街灯の海を渡ってきて、この狭くて薄暗い街に入り、建物の手すりに干してある敷布、肌着などをまだ取り込んでいない家、長い頬髯のユダヤ教徒のお爺さんが戸の前にたたずんでいる居酒屋や、一つの階段はまっすぐ高いところに届く一方で、他の階段は穴蔵に住む鍛冶屋の家に通じている貸家などに向かって、凹の形に引っ込んでたてられている三百年前の遺跡を眺める度に、心が恍惚となって少しの間たたずんだことが何度あったかわからない。
 今この場所を過ぎようとするとき、閉じている教会の門の扉によって声を抑えながら泣く一人の少女がいるのを見た。年齢は十六、七だろう。被った頭巾から出ている髪の毛の色は薄い黄金色で、着ている衣服は垢がついて汚れているようにも見える。私の足音に驚かされて振り返った顔は、私に詩人の筆がないので書き表せそうもない。青く清らかで、何か問いたそうに嘆きを含んでいる目で、涙の露をとどめる長いまつ毛に覆われているのは、なぜ一瞥しただけで用心深い私の心の底まで貫いただろうか。
 彼女は思いがけない深い嘆きに遭って、前途を顧みる余裕もなく、ここに立って泣いているのだろうか。私の臆病な心は、哀れみの気持ちに負けて、私は思わずそばに寄り、「なぜ泣いているのですか。この場所に煩わしい人間関係のないよその人は、かえって力を貸しやすいこともあるでしょう。」と話しかけたが、我ながら私の大胆さに呆れてしまう。
 彼女は驚いて私の黄色の顔を見つめたが、私の正直で真面目な心が顔色にでてしまったのでえあろうか。「あなたは良い人であるように思います。彼のようにむごくはないでしょう。また、私の母のように。」しばらく涸れた涙はまた溢れて、愛らしい頬を流れ落ちた。「私を助けてください、あなた。私が恥のない人間にならないように。母は私が彼の言葉に従わないからと言って私をたたきました。父は死にました。明日は葬式をしたいのに、家には一銭の蓄えさえないのです。」
 あとはすすり泣く声だけであった。私の視線はこの俯いている少女の震えるうなじにのみ注がれた。
「君の家まで送っていこうと思うから、まず心を静めてください。声を人に聞かせないように。ここは往来なので。」彼女は話しているうちに思わず私の方に寄りかかってきて、この時ふと顔をあげ、また初めて私を見たかのように恥ずかしがって私のそばを飛びのいた。
 人に見られるのが嫌で、足早に行く少女の痕について、教会の筋向いにある大きなドアを入ると、欠け損じた石段があった。これを登って、四階に、腰をかがめてくぐらなければならないほどの戸がある。少女は錆びている針金の先を捻じ曲げると、手をかけて強く引き、中からはしわがれたお婆さんの声がして、「誰」と問う。「エリス、帰りました。」と答える間もなく、戸を荒々しく引き開けたのは、半ば白くなった髪、悪い人相ではないが、貧苦の痕を額に印した顔の老女で、古い毛織物の服を着て、汚れた上靴を履いていた。エリスが私に会釈して入ると、彼女は待っていたかのようにドアを激しく閉めた。
 私はしばらく呆然として立っていたが、ふとランプの光に透かしてドアを見ると、エルンスト・ワイゲルトと漆で書き、その下に仕立物師と注書きしてある。これは亡くなったという少女の父の名であろう。内側からは言い争う声が聞こえたが、また静かになってドアが再び開いた。さっきの老女は慇懃に自分の無礼なふるまいを詫び、私を迎え入れた。ドアの内側は台所で、右側の低い窓に真っ白に洗われた白い麻布が掛けられている。左側には粗末に積み上げたレンガのかまどがある。正面の部屋のドアは半分開いているが、室内には白布で覆ったベッドがある。そこに伏しているは亡くなった人だろう。かまどのそばにあるドアを開いて私を導いた。この部屋はいわゆる「マンサルド(屋根裏部屋)」が街に面しているものなので、天井もない。隅の屋根裏から窓に向かって斜めに下がった梁を、壁紙で貼ったその下の、立てば頭が使えるようなところにベッドがある。中央にある机には美しいテーブルクロスを掛けて、上には書物一、二冊と写真帳とを並べ、焼き物の花瓶には似つかわしくない高価な花が生けられている。そのそばに少女は恥ずかしそうに立っていた。
 彼女はすぐれて美しい。乳のような色の顔は、灯火が映ってうすい紅をさしている。手足はか細く、やわらかくしなやかであるのは、貧家の女性らしくない。老女が部屋を出たあとで。少女は少し訛った言葉でいう。「許してください。あなたをここまで連れてきてしまった心なさを。君はきっと善い人でしょう。私をまさか憎まないでしょう。明日に迫っているのは父の葬儀、頼りに思っていたシャウムベルヒ、あなたはお知りにならないでしょうか、彼はヴィクトリア座の座長です。彼に雇われて以来もう二年なので、面倒に思わず私たちを助けてくれるであろうと思っていたのに、人の辛さに付け込んで身勝手な言いがかりをしようとは……。私を救ってください。お金は少ない給料をさいてお返ししましょう。例え私は食べなくても。それもかなわなければ母の言葉に……。」彼女は涙ぐんで体を震わせた。その見上げている目には、人に否とは言わせない媚びた態度がある。その目の働きは、わかってするのか、また自分では気づかずにするのか。
 私のポケットには二、三マルクの銀貨があるが、それで足りそうもないので、私は腕時計を外して机の上に置いた。「これで一時をしのいでください。質屋の使いがモンビシュウ街で太田と言って訪ねてくるときには、代金を取らせることができるから。」
 少女は驚いた様子を見せて、私が別れのために差し出した手を唇にあてて、はらはらと落ちる涙を私の手のひらに注いだ。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する