さてはて、暑さが本格的になり、体育の授業が地獄のようになる季節がやってきました。私の運動神経はめちゃくちゃ残念なので、体育の授業が暑かろうが寒かろうが苦手であることは変わりありません。そんな今日この頃です。
今月の記事では、森鴎外の舞姫について考察していきたいと思います。
第一回定期試験のあとから一学期の終わりまで、現代文の授業ではずっとそれについて取り扱ってきました。その授業が、まあ、簡潔に言えばすごく楽しかったわけです。
明治の文豪の作品って、だいたい重いんですよね。その重さが私にはちょうどいい。ウェブ小説のほとんどはラノベですが、私は純文学を好む人間ですので、授業の重苦しい空気が全然苦にならないのです。
舞姫といえば、単純に言ってしまえば、「赴任先で女の子を孕ませて捨てたクソ男」の話ですよね。私にはかつてそのようなイメージがありました。でも、太田豊太郎はそんなクソ男じゃないって、今なら言えます。
舞姫の設定は実に巧妙にできていて、もしエリスが娼婦だったら、もし豊太郎が女でエリスが男だったら、といった「もし」を考えても、その「もし」は現実には起こりえないのです。
想像を膨らませてみてください。
もしエリスが娼婦だったら、そもそも出会った時点で白くないわけですから、つじつまが合わなくなります。つまり、設定が固いといえるのです。設定が動かないといえるのです。
文学史的に言うと、森鴎外が舞姫を発表した1890年というのは、二葉亭四迷の「浮雲」の翌年です。浮雲の評価は、江戸文学から離れて言文一致体が使われるようになった、それくらいです。その翌年に、精緻な妊娠小説を完成させているわけですから、森鴎外おそるべし。
てなわけで、今月は以上です。拙い考察ですが最後まで読んでいただきありがとうございます!