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この感覚は、アイスダンスでも他のスポーツでも習い事でも、もっと言えば小説を書くことでも同じなのではないかと

昨日、氷川マサトさんから『僕とあいつと氷ときせき』にレビューをいただいたのですが、その中に「『やるスポーツ』としては馴染みのないフィギュアスケート」というお言葉があったんです。
それで、「ああ、そうそう。この話は『やる』ということを書いたんですよ!」と思いまして。

フィギュアスケートというと、一般的には「観る」競技ですよね。
ほとんどの人がテレビで観ることはするけれど、やってみたことのある人はとても少ないと思います。

それを私は「やる側」のお話として書いてみたわけです。
なので「珍しいですよ、自分で滑るわけではないのにその感覚が味わえますよ」というセールスポイントはあるかなあとは思います。フィギュアスケートに興味がある方にはその点いいのではないかと思うのです。

でも、多分フィギュアスケートなんかに興味がない人でも、なにかに打ち込んで上達したいと思った経験のある人なら、共感できる部分が一杯あるお話となっているのではないかなあと思うのです。

「上手くなりたい」と思った時、どういう感情を持って、どういうプロセスで上達していくか・・・・・

・・・・とかこういうことは、作品から読み取ってもらうべきで、色々書いてしまうのはよくないなと思ったりするわけですが。
小説サイトだけあって小説の上達についていろいろ皆さん考えておられて、ご自分の成長について経緯を書いておられるものをよく目にするのですが、その成長の過程がすごく自分の小説の内容と重なって見えて、「ああー、こういう感情になるんだ。こういうステップを踏むんだ」とうなずいたりしております。
アイスダンス=小説なわけですよ。
皆さんを見ていると。

勝手に観察していてごめんなさい!

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