野矢茂樹『入門!論理学』,2006年,中央公論新社
※本ノートのタイトルは、原著の帯にある言葉を引用しました。
伝統的には哲学の一分野であり、「食わず嫌い」してしまいそうな「論理学」という分野を、明晰なことばとユーモアを武器に見事に概説した入門書で、その面白さにぐいぐい引き込まれます。
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〈ことば〉は意味の連関性を持っていて、それにより繋がり合い、ネットワークを作っています。論理とは、その繋がりを正確に(踏み外さずに)行き来することと言えるでしょう。
ただし、論理学の論理は、我々が普段用いる繋がり――常識や連想による――とは別物であり、より厳密な意味上の繋がりです。
論理学では、前提を認めれば、必ず結論も認めなければいけないような「演繹」的推論を扱っていきます。ある前提から結論を導く全体のことを「論証」といい、導く過程を特に「導出」をいいます。
こうした論理の証明は次のツール使って行うことになります。
「ではない(否定)」「かつ(連言)」「または(選言)」「ならば(条件則)」、これを使うのは命題論理といいます。
命題論理に加えて、「すべて(全称)」「存在する(存在)」を使うのは述語論理といいます。
ちなみに、論理学には様々な立場があり、この本では「標準的な命題論理の立場」を取ります。これは、実在論的立場(観察と存在を切り離す/神の視点)で、排中律(「A」または「Aではない」/どんな状況でも主張Aは正しいか間違っているかのどちらか)を受け入れるものです。
さきほどの「否定」~「存在」にはすべて導入則と除去則とよばれるものがあります。導入則とは、「何からその主張が言えるか」、除去則とは「その主張から何が言えるか」を指します。こうしたそもそも出発点となる法則を「公理」といい、公理を用いて証明された法則は「定理」といいます。また、この論理法則を証明する一連の体系を「公理系」とよびます。
それぞれの公理は過不足なく、妥当な論理(反証のない/前提が正しいのに結論が間違っているような具体例がない)を証明していくことを目指します。この過不足ないことを「健全(無駄がない)」で「完全(不足が無い)」といいます。
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すみません、最低限のこともまとめ切れていません。
まさに「不健全」「不完全」な文章を書いてしまいました。
「ゲーデルの不完全性定理」「可能性様相」「必然性様相」など、面白いキーワードはまだまだあります!本当に面白いので、ぜひご一読ください。