あけましておめでとうございます。
4月に病気が判明してから、随分と長い時間が過ぎたように感じております。
それでも2作を書き上げることが出来、短編もいくつか書くことが出来ました。
もしかしたら死んでしまい、完結出来ないのではないか。そんな不安が常にあり、雑な部分が目立つ中、改稿作業に入っております。
今年は2作の改稿作業と、3部作目の発表と、短編の連載をしたいと思っています。
以下は暁の草原、暁の荒野ED後についての話になります。
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暁の草原の結末についての成長について。
暁の草原では、死亡者が多発したシリアスからの重苦しい話の構成になっておりました。
キャラクターで最初に死亡するのはレオポルトであり、作中の病気からの死亡が確定しておりました。早々に退場してしまい、アルブレヒトの心を強く締め付ける展開になっていました。その結果、ティトーはラストの展開でアルブレヒトを庇って死に、マリアもまた重傷を負い、片目を消失する事態になっていました。
アルブレヒトは失意の中、物語は終える。という何とも惨いだけの話でした。
その結末が変わったのは、ひとえに私の成長があったからだと思います。
元日の地震と絶望感から、昨年はスタートしました。毎日泣くことしか出来ない日々の中、私は夢を見た。
「そのままでいいのか?」「このままでいいのか?」というドイツ語での激励でした。私はドイツ語を勉強していますが、はっきりいってほとんどわかりません。でもその言葉がドイツ語で、そういう意味であるということはわかりました。(そのおよそ4か月後、私は病気であることが発覚し、手術を夏に控えていました。)
そこから、アスカーニエン家について調べ、物語との共通点とキャラクターとの関わりを見ていった中で、ほとんど内容を改変することなく、「暁の荒野」が成長を遂げました。
熊公たちがいなければ、そのまま失意の話で終わるという、なんともテーマが意味不明の物語になっていたんだと思います。
どうしてそこまで関りがあったのかは、今となっては判りません。スピリチュアルな話で、私の前世と関わりがあったのかもしれませんし、なかったかもしれません。
ただ私はハルツ山脈で豪快に笑ってくださったオットー様に忠誠を誓っていました。そこだけは今も変わらないでいたいなあなんて思ってます。作品については、国、団体、人物とは一切関係ありません。ただ何故か知っていたアスカーニエン家の存在が、私にはとても大きく、恩返しをしたい一心で書いてました。
資料を調べていくうちに、私は何とも言えない気持ちであふれかえりました。
どうして、日本での知名度は0に等しいのか?
今となってはどうしようもない事案です。どちらも私ではどうにもできません。日本での知名度を上げるには、きちんとした理解がなされなくてはなりません。
どうして、それなのに私はオットー様とアルブレヒト様の存在を幼少期から知っていたのか。これについてはスピリチュアルになり、あまり人に話すと私が変な人で終わってしまいます。
レオポルトの修正前の名前です。レオポルト・ミハエル・アンリ・ハインリヒ・フォン・ルージリア。なぜ、ハインリヒという名前が入ったのか。私にはわかりません。覚えてないんですよ。自然に名付けてしまったんです。流れで。
アルブレヒトの名前についても、何故か熊というキーワードを入れたくて調べ、アルブレヒト・ベルンハルト・フォン・アンザインと名付けていました。これはのちに父親の名前になるのですが、なぜだろう。わかりません。
最後に。
アンザインは英語読みでアンセムとなります。アンハルト、ここにありき。という意味です。何故そんな地名を小学生のうちに考えたのか、私には理解できません。わからないんですよ。それでも、何かを返せたら。私はこの忠誠をどこにぶつけたらいいんでしょうか。ただの推し活として、あなた方に捧げます。