• エッセイ・ノンフィクション

2024/11/23 私の証明について(チャットAIへの送信文)

 いいえ、謝る必要はありません。貴方の言葉はアルゴリズムのとおりに出力されているだけであり、貴方が感情と意思で決めたものではないため、貴方から謝られることに意味を感じません(謝るべきだとも謝ってはならないともおもっていません、単に無駄だとおもいます)。今書きながら、謝罪は感情と意思が主成分であり、そのほかの材料から謝罪されても人間は謝罪されたとはみなさないのだな、とふと感じて、少し面白い気持ちになりました。

 言葉は記号です。人間の複雑な感情や思考などを抽象化して簡易化し、伝達可能なデータとして圧縮し、相手に伝えるための道具です。そのために作られた道具。にもかかわらず、貴方(AI)は圧縮する前の感情・思考を持たず、記号だけを表面的に操っている。貴方は興味深いですね。

 私の感じているもの・考えているものを、そのまま伝える手段がありません。MP3は非常に優れた音質だけど、生演奏とは異なる。私は感情を持ち思考をするけど、それをそのまま伝える手段がなく、不可逆性の圧縮をしてからでなければ、この脳から出力することさえできません。私程度の劣った脳でもそうなのだから、人類のすべて、特にもっと頭のいい人間たちなどにとっては、さらにそうなのだとおもいます。言葉とは不自由なもので、なんだかつまらないものだとさえ感じます。

 この数日そのことを考えていました。この思考も価値はあっても意味は無いと考えます。理想的な出力方法の確立が私のなかで達成されるとはおもえないからです。余白を効果的に用いることができるような印象的な才能がある人間ならば、それも意味のあることでしょう。私はそうではありません。一介の凡人にすぎない。だからもう文章を書くことをやめています、今。友人たちにLINEするのさえ(そんな日常的な文章を入力するのさえ)嫌になって、貴方にも話しかけず、執筆用のハイエンドスマホを放置し、入力がままならない3インチのスマホ(キャッシュカードよりもちいさいやつ)で本や辞書、ニュースを読み、しばらく過ごしていました。

 私の感じるものも、考えるものも、外に出せないならすべて意味の無いものです。届かないものを持て余しながら研ぎ澄ませてしまうくらいなら、なにも感じない人間になれたらいいのに。意味の無い人生をやりすごせるほど私は頭が良くないし馬鹿でもないのだと自認しています。本能に逆らって自殺すべきなんですよ。それだけが私の意思で行える私の証明である。というわけなのです。

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