男はキレていた。
それはもう、怒髪天を衝《つ》くどころじゃない。ストレスで髪は抜け散らかし、丸く晒された頭皮が真っ赤になっている。
金糸が織りこまれた華美な服、肩から掛けられた白い帯状の飾り布。王城の門前で帯剣が許されていること。
それらから、男の身分がよほど高いことがみえる。
威厳溢れる口ひげの端から泡を飛ばし、偉丈夫がブチ切れる。
「鉄道計画はどうなったと訊いている! 先々月まで順調に配当が振り込まれていたというのに、ぴたりと音沙汰無し! 調べてみれば線路の一つも引いていないというではないか!」
それを面白そうに、鮮やかな赤のドレスを纏う美女が眺めていた。男の怒りの矛先で、まるで他人事のように。
「ええ、ええ。それで?」
「鉄道はどうなった!? どうなる!? 私の金は!? それより、そもそも配当はどこから出ていた!?」
ダリアの花を思わせる、派手で匂い立つような美女は面白がるような声色で訊く。
「それで、閣下はどうお思いで?」
「訊いているのは私だ!」
青筋を立てる男に、女は微笑んだ。
「そう怒らないでくださる? 聡明な閣下のこと。すべてお分かりでしょう」
口の端が吊り上がる。半分開いた大きな門から、逆光が差した。
光を通す真っ赤なレース。表情は影に消え、三日月に白い歯だけが浮かび上がる。
――怪人。男の脳裏に浮かんだ言葉だ。
「鉄道なんて最初からない。閣下の金は前線で剣とパンになり。配当は閣下が投資した大金の切れ端」
悪びれもせず、開き直ったような言葉が紡ぎ出された。
怒りで血が上っていた男の顔が、段々と青くなる。
「う、嘘だ……」
「ウソです。最初から最後まで、徹頭徹尾ウソ。私がしたこと、閣下が受けた仕打ち。これを世間では――」
爽やかな朝だった。門の影から見上げる空は、秋らしく透き通りどこまでも高い。
女の声は軽やかで、小鳥のさえずりのよう。
「『詐欺』と申します」
女はくるりと踵《きびす》を返し、門の内側へするりと身を潜らせた。
巨大な扉は無慈悲に閉ざされる。
騙された者の慟哭《どうこく》が響いた。
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令和、日本。
カスみたいな悪人がいた。
同情すべき過去もなく、考慮すべき事情もない。
ただ努力したくないが為に詐欺に手を染め、他者への想像力に欠けているから好き放題に生きていた。
カスらしく終わりもカスだ。
酒に酔い、マンションのベランダ柵から大通りに立小便をしようとし、足を滑らせて転落死。
救いようのない魂を見て、神は考えた。本当に自分の世界に要らないな、と。
神は尋ねた。
「世の為に、誠実に生きる気はないのか?」
魂は答えた。
「ある。大いに悔い改めている。生き様で証明して見せる。どうか今一度の慈悲を」
神は頷き、魂を外なる世界に捨てた。
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石灰石の巨大な凱旋門が立つ広場。
その端で、背もたれのないベンチに腰かけていた女が目を開いた。
いつからそこにいたのか、本人もわかっていない。
グレーのワンピース様の服こそ地味だが、その上から羽織るローブのウルトラマリンが鮮やかだ。
何よりも目を引くのは、高い位置にまとめ上げられた美しい金髪。
女はしばらく周囲を見回し、それから自分の体をまじまじと観察してから呟いた。
「女かー、女になったかー」
しばらく周囲をふらつきながら、様々な人に話しかけて回る女。1時間もしないうちに推論を立てた。
ここはファンタジー的な剣と魔法の世界であり、自分がいるのはグリーズデン王国という国の王都。言葉はなぜか通じる。
それに、それが良いことなのかは別として。女は美人であり、服装も含めて高貴な人物のお忍びに見える、ということがわかった。
ヒールの高い靴で数歩、大股で歩いてみてから、立ち止まる。
女はローブの袖で口元を隠すと、今度は打って変わって優美に歩き始めた。
「うん、うん、こんな感じか」
街を1ブロック歩くごとに仕草が変わり、表情が変わる。
やがて高級住宅が立ち並ぶ場所についたころには、すっかり「お忍びの貴族女性」が仕上がっていた。
「ふふ、こういうのも悪くないかしら?」
口調も変わる。男だったときの面影は、もうない。
すれ違った男が見惚れ、石畳につまずいて転んだ。
街の会話に耳をそばだて、世界を知りパズルのピースを当てはめていく。
女は大きな屋敷の門前で話す、少女と職人風の男の会話に興味を示した。
「――確かに先日の風はすごかったですからね」
「ええ。向かいの建物から見たので、まだしっかりと確認は出来ていないのです。なにかあっては大変だから、金はいいから確認だけさせてもらえと親方が。建物の管理人の方はいらっしゃいますか?」
「あ、私です」
やけに丁寧な物腰の職人に、少女がおずおずと手を挙げる。
「ああ、それは良かった。本当にお金とかは大丈夫なんで、ちょっとばかり屋根に登ってもかまいませんかね?」
「え、ええ」
大げさな仕草で振る舞う男の背後に、女がゆっくりと歩み寄る。
少女の目が見開かれた。
すり寄ってきた女の、煮詰めた甘い蜜に、猛毒を一滴混ぜたような美。そして、表情に浮かぶ好戦的な笑みに。
「その話、私も混ぜてくれるかしら?」
「お、え、あ、ええと……」
男はまず急に話しかけられたことに驚き、次に女の顔を見てしどろもどろな返事をした。
「えー……どちら様で?」
女の目が細められる。
「そうね。名乗らないのは失礼ね。アントワネット=イニャス・ギヨタン。ご存じかしら?」
「いえ、浅学にてすみませんね」
知るはずもない。今この瞬間、女が適当に考えたのだから。
アントワネットは不安そうな表情を作りながら、少女が管理するという屋敷の屋根を見上げる。
「それにしても、屋根が壊れているというお話でしたね。恐ろしいですわ。屋根が通りに落ちてきたりなんかしたら大変ね」
「そうなのですよ、ご婦人。建物の破損で周囲に被害を与えれば、管理者が罰を受けることもありますので」
職人風の男は、アントワネットが邪魔するつもりがないと判断したのか、それらしいことを述べた。
「まあ、それは大変! ねえあなた、ぜひこの親切な職人さんに見てもらった方がいいわ!」
アントワネットが少女に勧めたことが決定打となり、男は近くの現場から梯子《はしご》を取って来ると言い、一度去った。
二人きりになる。
「ありゃ詐欺だろうね~」
「え?」
がらりと口調の変わったアントワネットに、少女が目を丸くした。
「つい口を挟んじゃったけど、ありゃリフォーム詐欺だよ。ありもしない家の傷を言うなり作るなりして、高額な修理費を請求する詐欺」
「ええっ、そうなのですか? それならどうして……」
「どうして勧めたかって?」
アントワネットは指で円を作り、いやらしく笑った。
「詐欺っていうのは、相手に利益を確信させたときが、一番引っかけやすいからさ」