3章『酒神の宴二日目』
「これより、第一回レテちゃん凄いぞ会議を始める」
「あったま悪そー……」
「はーい!」
パチパチと二人分の拍手が、営業前で音の無い店に、空しく響いてふわりと消えた。
なんでバーってBGMが止まった瞬間に、空しい孤独感みたいなものが満ちあふれるのだろうか。業界の先輩は「楽しげな空間には寂しがり屋の幽霊が集まるから、何もしていないと急に寂しさが増すんだ」とか意味不明なことを言っていた。絶対その場で考えただろ。
夕陽は仕事お休みの日だ。ライダースと黒スキニーで、シンプルながら格好いい服装でキメている。骨格から細いのが意味不明すぎるな。
休日とはいえ、俺たちの日常に完全な休みは存在しない。常に誰かしらから連絡はあるし、お客様と出かけることもある。同業者との連絡回しも忙しいし、お客様のインスタやXを確認して趣味嗜好を確認する時間だって必要だ。
今日の夕陽は、常連のお客様とフグ食ってきたらしい。レテも連れて。どんな関係性を作ればそうなるのやら。水商売は十人十色。お客様との関わり方もそれぞれだ。
「えー、結論から言うと、ダンジョンは実在したわけなんだけど……酒神の宴ってなに?」
「一昨日言いました!」
「思考の溶けたガキの妄言だと思って、半分ぐらい聞いてなかった。ごめんちょ」
「レテちゃん。殺していいよ」
「はい!」
やめて。変身前は本当に死んじゃうんだから。レテの頭に手を置いて、ぐるぐるパンチを無効化した。
「酒神の宴は、バッカス様が用意したご褒美なのです!」
「聞いても聞かなくても変わらん内容でした。解散!」
「あんたが話途中でぶっちぎるからでしょ」
やめて。ぶたないで。夕陽の方が手足長いから普通に喰らう。痛い。
レテに話の続きを促す。ちびっ子は偉そうなドヤ顔を作ると、これまた偉そうな調子で言った。
「酒の力を借りないと生きていけない愚かな人間共に、生をやり直す機会をくれてやるそうなのです。ダンジョン内限定の力を与えて、苦難を乗り越える楽しさを与えて、財宝も与えてやるとのことなのです!」
すげえ上から目線じゃん。
「うっひょ~。めっちゃ美味い話!」
「阿呆か。罠でしょ……って、蒼は分かって言ってるよね?」
「うひょ~」
「話にならないわ。ともかく、正直にレテに全てを伝えるような誠実な神様だったら、素寒貧で路上に迷ったりしない。モエ白のダンジョンで見たように、犠牲者だっているしね。悪い意味で楽しんでいる部分は間違いなくあるわ」
俺は買ったばかりの電子タバコにカートリッジを差し込んだ。全然吸った気にならない薄い代物だが、ガキンチョがいるから仕方ない。ちなみに、禁煙を決意するほどの仲ではない。
「正直なところ、俺はそこまで金欲しいわけじゃないんよね。あってもなくても感がある。この店も一応黒字だし、しばらく食ってはいける。よく理解できんものに関わり続けるメリットもないかな」
回りくどく、酒神の宴ってやつから降りる意思を表明した。
人は簡単に死んじゃうからね。人間の手に負えないものだから「神」と呼ばれるんだと思う。その理不尽さの前には、祈れど嘆けど、死ぬときは死ぬ。失って後悔してからじゃ遅いんだ。
ファンタジーの世界が現実にやってきた。だとすれば、もうそれはファンタジーじゃなくて現実の一部だ。
既に七〇〇万円も手に入れた。不思議な体験も出来て、五体満足で生き延びた。十分だ。
「そうね……。私はお金が欲しくないわけじゃないけど……」
夕陽が迷いを見せる。今は俺よりも稼いでいるだろうけど、彼女の収入にはタイムリミットがある。どこかで若さを失った瞬間に人生の方向転換を強いられるのを、賢い彼女は理解しているのだろう。
それに、夕陽は健康に生きるだけでも大きなお金が掛かっちゃうからね。自然な体じゃない分、メンテナンスを求められ続ける。
「もしかして――」
「なに?」
「ああ、いや。なんでもない」
「ふうん?」
胡乱な目で見られる。口から煙幕を張って誤魔化した。
生をやり直す機会ってより、求めざるを得ない人間の前に、餌を垂らしているような気がしてならない。歌舞伎町という狭い生け簀の魚に、針のついた餌を撒いている――そんな悪意が感じられた。
「そういえば、レテのノルマってなんぞ? 何したら帰れるようになんの?」
ふと浮かんだ疑問をぶつけてみる。
「近々、おっきなダンジョンが生まれるのです! バッカス様はそのダンジョンで、求めている二二人? の能力者が生まれることを期待しているのです。でも、能力はランダムなので、なかなかどうして大変なのですよー」
レテはテンションを上げてから、すぐにガックリと肩を落とした。だいぶ運が絡む要素みたいだ。
「おっきなダンジョンねぇ。その能力者の人数が必要っていうのは、それだけ難易度が高いっていうことなの?」
「レテは知らないです!」
「はー、つっかえ」
「そういうこと言わないの」
なんでこんなポンコツの精霊を派遣したんだ、バッカスは。うっかり死んでも構わない無能を送り込んでいる説とかあるんじゃないか。
「なんでもいいからダンジョンに頭数ぶち込めば、それは達成出来るんじゃねーの? 鏡に映り込んだ奴もダンジョンに吸い込まれるんしょ? それなら、適当に人通り多いタイミング狙ってダンジョンに入るだけで目的達成できんじゃね?」
俺の言葉に、レテは難しい顔をした。
「むむむ!」
「考えたこともなかったかーーーー!」
「馬鹿が他人のこと馬鹿にしないの。それに非人道的すぎるわ」
夕陽の言葉がひどい。こんなにもぼくはかしこいのに!
「あのですね……」
レテがアゴの下で指を組んで、深刻そうに溜めて言う。
「わたし……」
「ほう」
「うん?」
「ダンジョンの場所、わかんないです!」
「ふざけてんのか」
レテの頭をスパンと叩くと、俺の頭が夕陽から灰皿で殴られた。痛い、死ぬ!
「子ども叩くな」
「うす……」
でもこの精霊、お使いの伝言以外なんにも役に立ってねえ。レテちゃん凄いぞ会議とか言い出した奴誰だよ。全然凄くねえ。むしろダンジョンの存在を知った後は用済みまであるぞ。
「夕陽はダンジョンの場所わかるのにな」
「そりゃあ、鏡から匂いするからね」
「それ、結局俺はわっかんねーんだよな。全くそんな匂いしなかったけどなー」
うちのトイレにあったモエ白ダンジョンを発見したのは夕陽だ。トイレからシャンパンの匂いがすると言い出して、適当に店にあったシャンパンを持ち込んだら、鏡の中に吸い込まれてしまったのだ。
俺も念入りに匂いを嗅いだが、全く感じられなかった。俺の酒センサーは優秀だ。みっ君がビールを注ぐときに、底にテキーラを仕込んでいてもすぐに気づく。なのに、全く分からなかったんだよなー。
「夕陽が探すのが早いか。でも、そうすっと夕陽がダンジョンに吸い込まれることになっちまうしな」
適当に巻き込んだ奴らからのヘイトも凄そう。最悪、ダンジョン内で人間に殺されてもおかしくない。
「そうね。あー、でもさ」
夕陽がレテの頭を撫でる。
「レテちゃんが頑張らなくても、他に精霊の子が派遣されたりするんじゃない? ほら、先輩が上手くいかないからレテちゃんが来たんでしょ?」
レテが目を丸くする。
「確かに……確かにそうです! 他の誰かが頑張ればいいのです! レテは毎日ここでフグを食べるのです!」
「フグは無理だけど、他の美味しいもの食べようねー」
「はーい!」
しょーもな。知らん身元不明のガキの面倒なんて、いつまでも見られないだろうに。
ガランガラン、とドアベルが鳴った。もうこんな時間か。
「はよざーっす!」
みっ君の元気な声が響いた。カウンターで横並びに座っている俺たちを見て、片方の眉を上げる。
「早いっすね。まだ二四時っすよ」
「作戦会議してたんよな」
「店の経営のミーティングもやってくださいよ。あと、早く来たならBGMと照明と、卓出しくらいやってくださいって」
みっ君は床掃除のときにソファに乗せたテーブルを降ろし、手際よくコースターや灰皿をセットしていく。あっという間に卓を作って、カラオケの電源を入れた。俺の五倍は優秀だね。
トイレ、玄関、シンク、伝票と金庫の確認をあっという間に済ませ、俺たちの前に立った。
「なんか飲みます?」
「うわ、スパダリじゃん」
夕陽が目を輝かせた。
「俺よりデキる感出すのやめて。罰金だよ」
「なんで⁉」
何もオーダーせずふざけている俺たちに、とりあえずで出される緑茶。夕陽とレテが礼を言った。
「茶割り飲み過ぎて、緑茶飲むと酒の気配感じるんだよな」
「そっすか!」
この店長、オーナーへの敬意が欠片もない。悲しい。
「で、なんの作戦会議なんすか?」
さして関心のない口調で訊きながら、みっ君は酒屋から届いたばかりのシャンパンを冷蔵庫にぶち込んだ。
「あ!」
その手元を指さしながら、レテが立ち上がる。
「そうです! 今度出来るダンジョン、アレです!」
「あれ?」
俺たちの視線が、みっ君が持つボトルに集まった。暗褐色のガラス、上に突起が三つ並ぶ盾のような形のラベル。
――ドン・ペリニョン。
誰もが知る、最高級シャンパンの代名詞がそこにいた。