「父のことを少し話していいですか」について、もう少し書かせてくださいね。
まず、この限りなく私的で、読んで下さる方を戸惑わせるであろう話にコメントや応援の♡を下さった方々に改めてありがとうと言わせて下さい。
実はこの話については、書くのを迷っていました。
と、いうか、書くことはないだろうと思っていました。
でも、昨日の夜、別の話を書いていた時にいつの間にか話が変わっているのに気がつきました。
ああ、これほどに書きたかったんだなと思いました。
公開も迷いました。
でも多分、わたしはこの押さえつけてきた気持ちを誰かに聞いて欲しかったんだと思います。
完全なる自分勝手の自己満足です。
「ごった煮ノート」は色々なものを詰め込んだエッセイですが、基本的にクスッと笑えるものをと書いています。
だから、「父のことを少し~」には*をつけました。
本当は別に独立したものとして書くべきなのでしょうが、正直これを一つの作品としていいものか・・・あまりにも稚拙な独白にしか過ぎないものを。
結局、いつもの小心者で臆病なわたしが顔を出し、真夜中の公開、*付きという中途半端な事になってしまいました。
最後に少しこの話に補足をさせてください。
多分、わたしが一番堪えているのは、父にどれだけ言葉を尽くして話しても(感情的にならないように声を荒げず、要点をできるだけわかりやすく)まるで目の前でシャッターをピシャリとおろされる如く、聞く気すらないことなのだと思います。
父は自分の考えを絶対に曲げません。
これは若い頃からそうで、有言実行の人で、それをやり通してきた自負があるからでしょう。
父は家庭という王国の王様でした。
王様は常に絶対で一番でないといけないのです。
そして自分が一度、拒否したものに対しては、それが誤解や父の思い込みであったり、その後に変わったとしても、一切受け付けません。
それはまるで、言語の違うもの同士が話しているようなもどかしさでした。
溢れるほどの愛情は貰っていました。
父の思う通りの愛娘でいるうちは。
でも何故かいつも不安で渇望していました。自分に自信が持てず、常に父に裁可を下して貰わなければ先に進めませんでした。
これは父がというよりも、わたし自身の弱さが問題なのです。もうこの歳なのだから切り離して考えるべきだろうし、それが自立するということでしょう。
わかっているのです。自分の不甲斐なさは。
結局、また長々と書いてしまいました。
この駄文を読んで下さった方に心からお礼申し上げます。
伝えることの難しさ、これは作品を書く時にも感じています。
語彙不足と文章力の無さに泣きたいような気持ちになることも多々あります。
それでも拙くとも"書きたい"んでしょうね。
その気持ちがある限り、書いていきたいと思うし、小さな砂の一粒にしか過ぎませんが存在することを許されたいと思うのです。