2023/4/28から「花のお江戸の肩矢ぶり★御天馬隊見参!」を連載し始めました。
https://kakuyomu.jp/works/16817330656474668565 今回は第19~22話あたりに出てくる寛永寺と上野東照宮のことを書いてみようかと思います。
上野界隈大好きです。小さいころは上野動物園、そして大きくなってからは上野公園内の美術館や博物館、東京文化会館に音楽を聞きに行ったり。
それだけでは無くて上野は町中なのに、なんだか江戸情緒を残していて緑も多くほっとします。(人は多いですが……)最近は上野動物園に行くとなぜかまず写真をとってしまうのが寛永寺五重塔だったりして。
寛永寺の創立者は天海僧正(大河ドラマで明智光秀の世を忍ぶ仮の姿か?!と話題になりましたね)で、江戸の鬼門を守るため上野の地に作られました。現在の上野公園をほぼ占める(最盛期にはもっと広い)ほどの大きな寺院で、桜の名所として庶民の行楽地でもあったと伝えられています。
本作では江戸の上空から江戸散歩をしてみたいと描写したのですが、ここでも大きな落とし穴が。江戸時代の図や絵などを見て、架空ながらも当時の江戸を想像して書いてみたのですが、なんと現在の上野公園大噴水の当たりにあったと言われる根本中堂は1698年(元禄11年)に建設されたことに気がつきました。
この時代にはないじゃないかーーーー。
と、いうことで根本中堂の描写はあわてて消しました。いや~、思い込みって怖い。
上野公園を歩き回っているときに、偶然出会ったのが「上野東照宮」。
東照宮といったら日光しか知らなかったので「ここにも~!」とびっくりしました。こじんまりとしていますが荘厳(キラキラ系)でとても美しくさすが東照宮と思った覚えがあります。
ここは徳川家康公(東照大権現)をお祭りする神社として寛永寺の伽藍の一部(東照社)として1627年に藤堂高虎の敷地内に建てられたようですが、その後1646年に宮廷より宮号を与えられ「東照宮」となったようです。
出世、勝利、健康長寿のご利益があると言われています。境内にタヌキを神体とした栄誉権現社もあって、タヌキ(他を抜く)から、受験や当選の御利益もあると書いてあるところもあって、笑ってしまいました。
現在外から見ることができる上野東照宮金色堂は1651年に造営されています。家康公が大好きな徳川家光の命により、元々あった金色堂を日光に準じた豪華な金色堂に建て替えられたようです。(家康公は質実剛健なイメージがあるので天の上から苦笑いしているのでは…)
上野東照宮は上野戦争や関東大震災や第二次世界大戦からも消失を免れた貴重な建築物です。
本作で炎上シーンを考えていた時、調べていくと現実でも1651年に建て替えられていたのか、とちょっとびっくりしました。
唐門に施された左甚五郎作の昇り龍、下り龍は毎夜不忍池に水を飲みに行くという伝説があります。
不忍池は縄文時代は東京湾の入江で海岸線の後退によって池になった場所です。現在の立地で考えると不忍池は大きく思えますが、明治初期までは池の北側は今よりもずっと広く川も注いでいましたが、1884年に埋め立てられて現在の形になったようです。さらに築堤工事で1929年に池が4つに分割されたようです。
左甚五郎の龍は心ゆくまで水を飲むことができたでしょう。
暑い日々、上野公園の人が多い界隈を抜けて、江戸の香りがする一隅に来るとほっとします。鈴本演芸場で落語でも聞いて、そばでもたぐって帰れば江戸気分満喫。
参考サイト
上野東照宮公式ホームページ:
https://www.uenotoshogu.com/上野東照宮ウィキペディア:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE不忍池ウィキペディア:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%BF%8D%E6%B1%A0