※※ はじめに ※※ (定期)
この小部屋を見つけてくださって、ありがとうございます。
こちらは、kou様の作品を、 わたし “金時まめ”として、感想を語るお部屋です。
作品をまだ読まれていない方は、ぜひ本編を味わってからお越しいただけたら嬉しいです。
(感想なので、少しネタバレを含みます)
今回の作品はこちら
『焦がれ色のパレット』(10月5日発表)
https://kakuyomu.jp/works/16818792439688648232『夜明けの空にまいた種』(10月8日発表)
https://kakuyomu.jp/works/822139837049887516の2作品の感想をお届けしたいと思います。
ここでは、印象に残った場面や、心に灯った言葉を中心に自由に感じたままを綴っています。
温かい飲み物を片手に、ゆるやかにお読みください。
※※ 以下、ネタバレを含みます ※※
10月5日と10月8日。
わずか3日のあいだに生まれたふたつの物語には、
静かな対話のような呼応を感じました。
夕暮れと夜明け。
太陽と月が同じ空に存在できる、1日の中でもほんのわずかな“狭間の時間”。その瞬間。
その短い永遠の中に、ふたつの物語は、向かい合うようにして描かれていました。
その美しさに心から魅入られました。
今回は10月の空に放たれた、この美しいふたつの物語の感想ノートをお届けします。
⚫︎ 『焦がれ色のパレット』――沈む光の温度
「美月は、オレの自慢の友人なんだ」
始まりから一貫して、ヒロイン・美月側から語られる恋心。
想い人の麗が美月をどう思っているのか、心のうちは描かれません。
そして最後から2行目に、冒頭のこの言葉。
恋の熱量をあげるだけあげて奈落の底へと突き落とす。
この一文を読んだ瞬間、胸の奥が一瞬、凍りました。
まるでずっと目隠しされて、誘導されるがままに、ワクワクしながらおとなしくついて行ったら、
断崖絶壁だったような…。冷たい風が吹き抜けました。
作者様のその誘導が寧ろ清々しいです。
美月がその言葉を、受け取ったあとの心情は描かれていませんが、
きっと自分の想いを、そっと胸の奥にしまい込んだことでしょう。
“焦がれ”とは、ただ燃えることではなく、
想いを抱いたまま、光の一部として手放すこと。
……。恋とは、本当に難しいものだと感じました。
「一番に、見てくれる。」
その約束の言葉は、彼女にとっての祈りだったのだと思います。
それは痛みでありながら、時間はかかっても赦しのように、美月の胸の中で落ち着いていくのでしょう。
⚫︎ 『夜明けの空にまいた種』――生まれ変わる光
この空の下で繋がっている。
「それぞれの場所で、一番綺麗な花を咲かせようね」
こちらは一転して、男性側の隼人から語られます。
男女の“友達”だからこそ、未来をなあなあにしないふたり。
友情と呼ぶにはほんのり薄紅色で、
恋と呼ぶのはまだその温度にはない、“今”
キャッチコピーの
『「君の隣」じゃない。「君の夢の隣」に、少年はいたいと思った。』が
胸に迫りました。
瑠奈が机に突っ伏して寝てしまう場面では、
隼人の心の奥が透けて見えるようでした。
無防備に眠る“友達”の瑠奈。
その「穏やかな寝顔」を見て、
彼女の夢のために、
その背中を送りたい思いと、
その無防備な儚げさを守りたい気持ちが揺れ動く。
中学3年生の隼人の“男としての揺らぎ”がとても美しかった。
「瑠奈は、瑠奈の場所で、綺麗な花を咲かせなきゃダメだ。」
誰かを縛るのではなく、
相手を信じて“自由に生かす”という愛。
それは、焦がれの果てにようやく辿り着いた成熟の形でした。
「東の空は、深い藍色から燃えるようなオレンジ、
それから柔らかな金色へと、美しいグラデーションを描いていた。」
この描写を読んだとき、
『焦がれ色のパレット』の夕焼けが、そのまま夜を越えて、
『夜明けの空にまいた種』へとリレーされ
朝の光へと繋がっていくように感じました。
沈む光と昇る光。
同じ太陽の、別の表情。
まるで、ふたつの物語が“表と裏”の鏡写しのように、
響き合って胸の中に広がっていきました。
⚫︎ ふたりの“月”――美月と瑠奈
今年(2025年)の中秋の名月は、10月6日でした。
その日を挟んで並んだ、ふたつの物語。
どちらのヒロインも、“月”を名に宿していました。
美月は、沈む太陽の余韻を抱きしめる月。
瑠奈は、夜明けの光を受け取る月。
太陽の光を受けて輝くのが月であるように、
ふたりの存在は、“光の循環”を象徴しているように感じました。
⚫︎朝のリレーの記憶
学校の図書室で、
国語の先生が谷川俊太郎の『朝のリレー』を朗読してくれたことがあります。
窓の外では午後の光が差し込み、清浄な空気が流れていました。
その声は、本棚のあいだから静かに流れ出して、
やわらかな風のように頁を撫でていきました。
わたしは、目を瞑って聴きました。
大好きな詩だったし、心で聴くために。
その声のひとつひとつが、胸の奥でやさしく反響していきました。
「それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ」
――『朝のリレー』より 谷川俊太郎
その一行が、今も心に残っています。
“誰かの朝は、誰かの夜の続きを生かしている”。
焦がれることも、夜明けを迎えることも、
きっとこのリレーの中の出来事なのだ、と。
言葉も、想いも、
どこか遠くで、誰かが受け取ってくれている。
そう思うだけで、
見えない場所にも光が灯る気がするのです。
⚫︎対になった物語
この2作は、明確に「対作品」として描かれたものではないかもしれません。
けれど、読んでいくうちに、どうしてもひとつの円のように感じてしまうのです。
女性の側から描かれた“焦がれ”。
男性の側から描かれた“夜明け”。
沈む光を描いたあとに、昇る光を描く。
その構成の流れの中に、
まるで“循環の意図”があったように感じました。
焦がれの果てに、芽吹くものがある。
夜があるからこそ、朝が美しい。
――そう教えてくれるような、ふたつの物語でした。
(引用:kou様の作品、『焦がれ色のパレット』と『夜明けの空にまいた種』より引用しました)
⚫︎おわりに
夕暮れと夜明け。
太陽と月が共にある時間は、ほんの一瞬。
けれど、その一瞬こそが、
心が最も澄み渡り、愛が形を変えて息づく瞬間なのかもしれません。
焦がれる想いも、再生の祈りも、
どちらも“光”のかたちとして、静かに世界を照らしていく。
だから今は、
このふたつの物語が残してくれた“光の連なり”を、
静かに胸の奥で見つめています。
とても心に残るふたつの物語となりました。
次はまた、kou様が連載中の『アンドロイドは下ネタの夢を見るか?』の感想を語れるといいな、と考えています。
また『感想のお部屋』でお会いいたしましょう👋
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。