• 歴史・時代・伝奇

駿府

話を書き始めて三か月が経過いたしました。

静岡県は花粉症の患者率がワーストワンなのだそうです。
私も御多分に漏れずかなり酷い花粉症でして、この時期は苺でもアレルギーが出る次第です。

四月といえば、一月と並んで、何かが始まる月ですね。
そしてそれに合わせて終わるものも出てきます。

個人的にかなり衝撃的だったのは、世界ふしぎ発見とブラタモリが終わってしまったことですね。
号外日本史スクープ砲が終わったのもかなりショックでした。

草野さんがMCを降りてしまってからすっかり見なくなっていましたが、それでも土曜のあの時間はふしぎ発見の時間だという『日常』でしたので、何とももの悲しいものがありますね。

昔、ドラマや漫画で新宿の象徴として出てきたビル『MyCity』の文字がとっくに無いというのを最近知りました。
さらに、先月で『ALTA』も終わってしまったのだそうで。
『ALTA』といえば『笑っていいとも』

もうそんな記憶はどんどん記録の中だけのものになっていくんでしょうね。
秋葉原のバスケットコートが無くなったように。


静岡駅を降りて、正面の大通りを行くと、駿府城公園があります。
駿府城は今川館の事でもあります。

今月の話では、五郎八郎が評定に出席するために、この今川館を訪れています。

数年前から駿府城は発掘調査が行われています。
最終目標はかつての駿府城の天守閣をレプリカで復刻させることだと聞きます。
その前に今発掘調査を行っているのだそうです。

その中で今の駿府城公園は、実は今川館時代とはかなり手が加えられたものだという事がわかってきたのだそうです。

そうだろうとは言われていたそうですが、発掘調査で今川館時代の遺構が出たのだそうで、はっきりしたのだそうです。

ちなみに発掘調査では、五七の霧の掘られた金の瓦も出土したのだそうです。
実は駿府城は、今川館の後で、豊臣秀吉によって改築されているんだそうです。
タイミングは小田原征伐の時。


駿府城は、徳川家康が隠居地として過ごした城です。
ブラタモリでは、その時に京都から商人を多く連れてきたなんて話をしていましたね。
だから城下町の一番の通りは「呉服通り」なんだそうで。
静岡県民にはCMでおなじみの『ファッション ふしみや』は元々、『伏見屋』なんだという話もしていました。

初夢で見ると縁起が良いといわれている『一富士二鷹三茄子』は元々、この静岡の名物のランキングだったなんて話を三保の松原の回では言っていましたね。

ちなみに、駿府城公園から駅を抜けて南東に行くと、有名な登呂遺跡があります。
駿府は安倍川の扇状地ですから、昔から食べ物には事欠かない場所だったのでしょうね。
温暖で有名な地ですからね。

登呂遺跡から西に行ったところが久能山となります。
山頂には家康の遺骨が祀られていると言われる久能山東照宮があります。

今の時期、久能山の麓は石垣苺のいちご狩りが盛んとなっていますから、花より団子という方はそちらもどうぞ。


さて、ここまでで三章を終えました。
開始年は1528年で、現在公開した部分でもまだ1529年です。
『次』の山が1536年ですので、次の章では少し時間が飛ぶことになります。

今後とも、ご支援、ご声援のほど、よろしくお願いいたします!

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