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生と死は一番近くて一番遠い

この文章を読んでいる物好きな皆さま、こんにちは。
初めましての方は初めまして、癒鷹です。

 現在毎週更新している「Fire Bird Rider」が、初期のころと比べて段々と閲覧数が増えてきて非常に嬉しい限りです。 物語の進行としてはもうすぐ折り返しといったところですので、これからの展開やまだ登場していない人物たち、キャラクターそれぞれの過去など、少しでもワクワクしながら楽しんで読んでもらえると、作者としてそれ以上の喜びはありません。
 さて突然ですが、この文章を書いている翌日は私の誕生日でございます。 この近況ノートも月一ぐらいで更新したいと当初は思っていたのですが、忙しい日々の中でFBRを書くのが精一杯な現状でして・・・言い訳ですね。 サボってました、すみません。 なので、誕生日という「人生の中で周期的かつ強制的に訪れる節目」にサボっていた近況ノートを書こうと思い立った次第でございます。

 ここで、この文章を読んでいる物好きの皆さんにお聞きしたいことがあります。 それは「何歳の時から”生”と”死”を意識し始めましたか?」です。
 私の場合は小学校中学年ぐらいの頃でしょうか。 部屋で遊んでいるとき、唐突に自分の存在について違和感を覚えました。 自分という”生”の存在を自覚した瞬間、同時に”死”への深い恐怖が私の中に深く生まれたのを覚えています。
 私にとっての「自己アイデンティティの芽生えの瞬間」ともいえるのでしょうか。 それからしばらくして、自分の寿命や死後の世界、私の死後の現世についてよく考えを巡らせていました。 まあ、こんなことを真剣に考える時期は誰にでも訪れるものなので、特段珍しい経験だったとは思っていないのですが、そこから私は中学卒業ぐらいまで「自分は✖✖歳までしか生きられないから、今できることとやりたいこと本気でやろう」と何故か考えていました。 今では何故「✖✖歳までに自分が死ぬ」と本気で思っていたのかよく覚えていません。 いつの時代でも一定の児童が発症する「自殺願望」みたいなものでは全くなく、何故かそう思い込んでいました。
 実は今から丁度一年後の明日になると、私が子供の時に自分の寿命だと思っていた✖✖歳になるんです。 つまり中学生当時の私からすれば、私の人生のタイムリミットは残りあと1年ということになりますね。

 現在、私はこれっぽっちも死ぬ気はありませんし、死が想定されるような状況でも石に齧り付き泥水を啜ってでも生き抜くつもりなんですが、死んだら死んだで「そうか、終わったのか」と納得してしまうと思います。
 向こうの世界には、「私が悪いことをしてしまったけれど、私が謝る前に行ってしまった親友」がいるので、そいつに謝らないとなと思うぐらいです。

 「生を意識し、死を忘れた人生」は堕落に向かい、「死を意識し、生を忘れた人生」は絶望に向かうと思います。 生と死をバランスよく意識する方が、生きることに真剣になれると私は思います。 33歳で急逝した中島敦は「人生は何事も成さぬにはあまりに長いが、何事かを成すにはあまりに短い」という言葉を残しましたが、その通りだと思います。
 子供の頃の予言通り1年以内に死ぬのか、それとも一年後も生き続けるのか、どうなるのか分かりませんが、自分が死んだときに「自分は精一杯生きて死ぬ直前まで成長していた」と言い張れるような残りの人生にしていきたいと思います。



 長くなりましたが、私の死生観みたいなものでした。
皆さんの死生観も教えて頂けると嬉しいです。

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