• に登録
  • 歴史・時代・伝奇

しょうもない世界線思いついた

お風呂でしょうもない話を思いついたのでここで書き殴っておきますね

時は1614年
江戸幕府を開き圧倒的な権力を得た徳川家康であったが「権力なき権威」を持つ豊臣家を疎ましく思い排除を試みて「大阪冬の陣」が起こり20万の大軍を持って大阪城に攻め入ったが大阪城は陥落せず講和。講和の際大阪城の外堀を徳川側が、内堀を豊臣側が埋めることで大阪城で籠城できないようにした。これにより豊臣側は翌年の「大阪夏の陣」では野戦を余儀なくされ勝敗は決したように思われたが豊臣側の猛烈な突撃により徳川家康は真田幸村に討ち取られその報が幕府軍を混乱させ瞬く間に秀忠も討死…結果として豊臣側の大勝利となった。その後は親徳川派が抵抗を続けたが日の本は再び豊臣の下で統一されたのだった…

豊臣政権は中央集権化を推し進め鉄砲を大量配備、研究、開発を行い再び朝鮮に進行。前回の朝鮮出兵の反省点を生かし進撃を続けたが朝鮮、明も反省を生かし備えていたため戦闘は激化、結果として朝鮮を日本に譲り日本は朝鮮出兵を成功させたのであった…

それから200年の時が経ち日本は豊臣政権の下軍拡を進め欧米列強と変わらない軍隊を有していた…
今こそ中国を植民地とし天竺(インド)まで豊臣政権の力を示すのだ…



おやすみ

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する