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かつて青く、かつて公開されていたバージョン。

 宇宙船地球号はかつて青かった。その姿は写真や映像でしか拝むことはできない。地球の青さを自らの目で確認できたヒトも一握りだったというから、そういった意味では今も昔もさほど変わらないのかもしれない。
 吾輩はネコであった。
 ネコと呼ばれていた動物の遠い遠い子孫にあたる。
 以前、地球はヒトが支配していたらしい。その根拠として、地球上の至る所にヒトが造り上げた文明の痕跡が残されている。ヒトが繁栄していた時代は、我々にとっては歴史の授業で学ぶような遥か昔の出来事だ。ヒトにとっての“恐竜が地表を闊歩していた時代”に等しい。
 どうしてヒトがいなくなってしまったのか。
 我々がわざわざヒトを滅亡へと追いやったのではない。宇宙船地球号の燃料が尽きてしまった日が開戦の日だった。ヒトはヒト同士の抗争によって自滅していった。と、わたしは学んだ。わたしは実際にその見苦しい戦いの数々を見たわけではないが、“現在”という過去にとっての未来が答えとして残されている。
 戦いによってさびついた宇宙船の人口は半減し、大国では地球を捨てて他の惑星へと移住する計画が実行されそうになっていた頃に我々の始祖は地球にたどり着いた。
 ヒトが全滅してしまうまでの争いに関しては聞いていても面白くないだろうから、始祖の話をしよう。そうだそれがいい。お前はわたしの姿を見て腰を抜かしていたわけだからな。
 偶然の出来事だった。
 宇宙空間を浮遊していた始祖は、地球の引力に導かれるままに日本の領海に着水する。溺れ死にそうになっていたところをタカハシという日本人の漁師によって拾われたらしい。ここで溺死してしまっていたら我々は存在していなかったので、我々は日本人に感謝している。
 ヒトの感覚で言えば始祖は“宇宙人”ということになるだろう。当時の始祖は日本語を理解できなかったが、タカハシの飼っていたネコのノラとは意思の疎通ができた。ヒトのコミュニティには馴染めなくともネコとは交流できていた。ここで始祖がヒトの言葉を読み書きできていたら、わたしはお前に近い姿になっていただろう。もしくはタカハシが政府に始祖を明け渡していたら、また歴史は変わっていたかもしれない。
 ノラの紹介により、始祖はタマとつがいとなって子を成す。名前はクロ。我々のルーツを辿っていけば必ずこのクロへと辿り着く。我々は皆クロの息子であり娘である。
 クロはヒトが破壊した環境にも耐えうる、特殊な体質だった。我々はこの体質を引き継いでいる。宇宙空間で暮らしていた始祖の特性を受け継いだのだろう。宇宙は地球よりも生物が活動していくには適切ではないそうだ。
 クロが大きくなるにつれて、ヒトは地球をヒトが生活していくには厳しい環境にまで追い詰めてしまっていた。まるで孫のようにクロを可愛がっていたタカハシやネコたちは適応できずに死んだ。同じぐらいの時期に記録されたと推測されている歴史書によれば、健康体のヒトはどこにも存在していなかったそうだ。皆どこかを病み、もがき苦しみ、倒れていった。歴史書も最後のページは文章が途中で途切れている。
 ヒトではない始祖とネコとの混血のクロの親子はさびついた宇宙船地球号に取り残された。
 ただし、希望は捨てていない。
 ありとあらゆる生命が亡くなっていっても。
 始祖とクロは言葉を学んで、ヒトが生み出した技術を会得していった。我々がこの見た目でも流暢に日本語を操るのはこの時点で公用語が日本語と定められたからだ。タカハシが日本人だったから、始祖もクロも耳馴染みの良い日本語が一番学びやすかったのだろう。人類がまだ健在だった太古では英語が最も多くの地域で使われていた、と教わった。お前は日本人だろう? こうやってわたしとスムーズに会話できるのは始祖とクロの努力の賜物である。
 我々はヒトの失敗を繰り返したりはしない。
 再びこの地球を青く美しい星として復活させ、今度こそは悠久の平和を実現する。

 *  *  *

 パチパチパチ。
 乾いた拍手の音が辺りに撒き散らされる。
 
「ありがとう。よぉくわかった」

 ヒトの男は口角を上げてニヤけた表情を作りつつ、「さしずめオレは『猿の惑星』ならぬ『猫の惑星』に不時着した宇宙飛行士みたいなもんか」と言って自身のアゴを人差し指で撫でた。その映像作品の名前は知っているが観たことはないので、男のこの比喩が適切かどうかの判断はできない。
 ただ、わたしは“ネコ”ではない。その一点は訂正させていただこう。わたしは先ほど説明した通り、祖先は“ネコ”であったかもしれないが今は“ネコ”とは違う生き物である。ヒトがサルから進化していったように。

「わたしはネコではない。我々を“ネコ”と呼ぶのは、ヒトを“サル”と呼ぶのと同義だ」

 毛を逆立てて歯を見せると、男には正しく怒りの感情が伝わったようで「オーケーオーケー。そんなにキレるなって」と両手を前に伸ばしてわたしを近寄らせまいとした。わたしは男に危害を加えるつもりはない。これっぽっちもない。少なくとも、現時点では。

「とりあえずさ、解放してくれないかな?」

 わたしがこの辺り一帯の警備を命ぜられてかれこれ3日は経過している。今となっては、早くこの業務時間が過ぎて家に帰りたいという願いが半分、これまで本でしか見たことのない風景へのワクワク感が半分といったところ。普段は毎朝出勤して、適度にデスクワークをこなし、昼ごはんを食べて、定時になったら帰る。これを退屈な日常と呼ぶのかどうかは個人差があるだろう。
 この地域は大昔にトウキョーと呼ばれており、ヒトが盛んに経済活動を行なっていたらしい。その証拠として他の地域よりも出土品の数が多い。現代に転用できる技術やクリーニングすれば実用に耐えうる人工物など、言うなれば宝の山だ。
 だからこそ無許可で侵入し、個人の都合で出土品を持ち去ってしまう者が後を絶たない。そこで政府はわたしのような下っ端の役人に装備を取り付け、不埒な輩を成敗させるようになった。わたしは何事もなければ1週間ほどで解任される予定だが、この期間はまちまちである。あと4日もある。中には志願してこの任務に就く者もいるとかいないとか。

「それはお前が『なぜこんなところにいるのか』をわたしに説明してからだ」

 コンクリートの床に、半壊した扉が取り付けられている場所を発見したのが小一時間前。その先に階段が続いているのが確認できたので、わたしは扉を破壊して階段を降りていった。地下に道が続いている例は珍しくない。地下を走る鉄道や地下に広がる商業施設や車庫など、地上とはまた異なる光景を見せてくれる。過去に貴重な出土品を各地からかき集めて価格を吊り上げて取引する不届き者が地下に拠点を構えていた事件を思い出し、わたしは改めて気を引き締めてから進んでいった。
 階段を降りきった先に檻があり、その檻の中にヘソから下をコンクリートで固められたこの男がいたのだ。ライトで顔を照らすと「うわっ」と声を出したのでわたしは驚きのあまり尻もちをついてしまった。実際に動いているヒトを見るのは初めてだ。
 連れ帰らなければならない。
 使命感に駆られたわたしは、すぐさま立ち上がると檻のカギを破壊した。わたしが近づいていくと、男は「ね、ネコ耳!?」と素っ頓狂な声を上げて目を丸くしていた。違和感を覚える反応をしてくれる。「この耳のどこがおかしいのか」とわたしが訊ねると、男はその問いには答えずに「今、平成何年?」とまたもや不思議な質問をしてきた。
 わたしが真面目に人類史を履修していて本当によかった。知識は身を助ける。もしわたしが怠惰な学生であったならこの疑問には答えられなかっただろう。現代に“年号”という概念は存在しない。男が「オレがここに連れてこられたのは、えーっと、何年の話だっけか」と言ってくれたのも助かった。おかげで現代に至るまでにこの地球上で何が起こったのかについて語るきっかけを作れた。

「えー……」

 男は億劫そうに頭を掻いた。先ほどわたしが長々と話をしたように、この惑星の上で絶滅してしまった。生き残っているはずがない。そもそもヒトが生存できる環境にないのだ。だいぶ改善されたとはいえ、耐性のないヒトがこのように健康体で会話可能な状態にあるなんて。歴史が変わってしまう。

「ネコちゃんは」
「こら」
「じゃあなんて呼べばいいんすか。ジョンドゥ? 名無しの権兵衛?」

 つくづく失礼な男だ。
 わたしは眉間に皺を寄せる。檻の中にいて、下半身を動かせないようにされているほどだからよほど何かしでかしたのだろう。人類史ではヒトが作った娯楽映像――“映画”を観る講義が何度かあった(教授が映画好きであり、他の講義よりも退屈しない為人気があった)が、男はムービースターと並び立たせても遜色なさそうな精悍な顔つきをしている。わたしがヒトであったなら一目惚れしていたかもしれない。ヒトでなくてよかった。

「お前を解放したのち、政府に引き渡す。その後、二度と会うことはないだろう」

 上の方々も生きているヒトを見るのは初めてだろう。慌てふためく様子が目に浮かんで、わたしはニヤけてしまった。男は「オレを連れていくだけだから名乗るまでもないってこと?」とわたしの意向を汲み取って、ため息をつく。
 しかし“平成”とは。

「お前は何百年ここにいるんだ?」

 わたしは問いかける。
 ヒトの寿命は我々と同じく、長くても100年ほどであったはずだ。

「今年が何年かわからないからなぁ……」

 男は肩を落とす。
 それもそうか。
 ヒトが生きていく為には食事を取らなければならない。両手は自由に動かせるように見受けられるが、手が届く範囲に食べ物はない。排泄もできない。生命を維持していく上で必要不可欠な行動として今の男ができることといえば睡眠ぐらいなものである。
 それでも男は健康そうに見える。陽の光が差し込まない地下だからか肌の色は白いが、筋肉は程よくついていて瞳の濁りもない。
 ヒトを模して作られた精巧な人形の可能性に思い至って、わたしは脈を測ろうと男の首筋に指を当てる。

「お前もオレを殺そうとするの?」

 パッと手を離した。
 わたしの不用意な行動が不審に思われてしまったようで、先ほどまでとは打って変わって低いトーンで「ヒトもネコも大してやること変わんないな」と男は呟いた。

「わたしはただ、お前が本当にヒトなのかを確かめたかっただけだ」

 正直に告白しよう。嘘をついても仕方ない。お互いの信頼関係は大事だ。
 できることならば穏便に済ませたい。
 扉を破壊するほどの威力を持つ弾を発砲できるこの装備で男を撃てば、いともたやすく男の身体に風穴を開けることができてしまうだろう。
 物騒なことを考えていると、男は「オレはヒトじゃないかもしれない」と言って自らの左手の人差し指を右手で掴んで、捻りながらむしり取ってみせた。ボギボギと骨が折れる音がして完全に付け根から人差し指が分離される。

「なんてことを!」

 顔を歪ませながら他人事のように、男は「痛覚も死んでほしかったな」と吐き捨てる。それから、わたしの叫びがその小さな耳には届かなかったのか、その人差し指を口に運んだ。
 なんてことを。

「じ、自分の指……」

 わたしの顔がどれほど引き攣っていたかは鏡がないので確認しようがない。男はもぐもぐと咀嚼しながら「どうせ生えてくる」と言って左手をブンブンと振り回してみせた。凝視してしまう。その言葉の通りに人差し指は生えてきて、元通りの五本指となった。
 人類史は勉強したが、ヒトにここまでの自然治癒力があったとは教わっていない。

「オレは死なない。だから、こんなところに連れてこられた。ヒトがヒトとしてこの地球上で生き残るために、オレは実験台になっていたってわけ。ネコちゃんの昔話が全部本当なら、失敗しちゃったみたいだけど」

 不老不死。
 創作物ではその存在について明記されているものをいくつか読んだことがある。実在するかどうかまでは疑っていたが、実演されてしまっては信じるしかない。ケガをしてもその超回復によって元通りにする。寿命は存在しない。
 その姿は伝承によって差はあり、ヒトの姿でないものもあったはずだ。だが、こうして目の前に現れたのがヒトの姿であるので、ヒトの姿をしている資料こそが正解だったといえる。

「オレは嬉しいよ。さんざんオレをいじめた人類がいなくなってくれて。代わりに宇宙人とネコのあいのこが繁栄してるなんてのは想定外だった。面白いなぁ」

 何度ネコではないと否定させれば気がすむんだ。……まあ、いい。この男を政府に連れて行った後の行動を想定しておこう。
 まずは彼らが不老不死を信じるかどうかだ。わたしの話だけならともかく、男がまた指を折るなりしてくれれば一瞬で信じてくれるか。痛がっていたがやってもらうしかない。
 次にこの男の処遇だ。おそらくはヒトと同じように男を研究材料にするはずだ。ヒトの失敗を踏まえて慎重になっているが、我々はヒトよりも賢い。ヒトから学び、ヒトを超越していく。クロが厳しい環境を攻略してみせたように、我々も遺伝子のレベルで不老不死を組み込む。
 我々は宇宙船地球号の恒久の支配者となるのだ。

「で、話したから解放してくれるんすよね?」

 わたしは銃口を男に向けると心臓を目がけて引き金を引いた。
 不老不死といえども、致命傷を与えれば。

「イッテェ!」
「我々に協力できるか」
「撃つ前に聞かない!?」

 上半身の三分の一が吹き飛んだのに生きている。
 これが不老不死か。

「ヒトの心とかないんか……いやヒトじゃなかった……」

 じわじわと傷口から再生していく。
 血が地面へと滴り落ちるよりも早い。
 わたしは頭部に照準を合わせて「答えは?」と訊ねる。

「わかった! わかったから撃たないで!」

 男が観念して両手を挙げ、古より伝わりし“降参のポーズ”を取った。
 わたしもできることなら穏便に済ませたいと思っていたのに、実際は武力でゴリ押ししてしまっている。反省しよう。もっと平和的に、交渉術でなんとかする技を身につけねばならない。男の足回りを固めているコンクリートに向かって3発ほど撃つと、埋もれていた下半身が出てきた。

「動かせるか?」

 両手を大きく広げて「誰かさんのせいでバランス取りづらいけど? なんとか? 歩けるような?」とよろよろと歩き出す。
 わたしが担いで連れていく必要はなさそうだ。歩けるのなら自らの足で歩いてほしい。ヒトによって崩壊させられてしまったトウキョーは歩きにくい。ただでさえもわたしには政府から貸し出された装備があるのだ。
 わたしがトウキョーを警備しなければならない期間はあと四日残されているが、この男の存在はこの期間を短縮してくれるに違いない。大発見だ。表彰されてもいい。

「予備の服ない?」
「服?」
「この姿で歩き回るのは嫌だな」

 そうか。そこまで気が回らなかった。気持ちがはやってしまっていた。
 全裸では寒かろう。
 わたしが予備の制服を取り出して渡そうとしたが「ネコちゃんには毛皮があるからいいよね」と茶化してきたので、たたみ直してまた元通りにしまった。その辺の葉っぱでもつけておけ。

「冗談だって! ねぇ!」
「不老不死なら凍えて死ぬこともなかろう」
「お前が死んだら三味線にしてやるからな」

 わたしは渋々、制服を取り出した。馬鹿馬鹿しい脅しに屈したのではなく、男が身体を震わせて奥歯をガチガチと鳴らしていたからだ。政府に引き渡すまでに何かあっては困る。不老不死だというからには死にはしないだろうが、例えば身体が動かなくなってしまったら結局わたしが運ぶ羽目になってしまう。
 男はわたしから制服を受け取って、羽織りながら「この服はどんな服なの?」と確認してきた。
 見事に傷は修復されている。とんでもない回復力だ。ヒトが欲しがるわけである。

「警備担当の役人しか着られない制服だ」

 今回が終わればしばらくわたしの番は来ないだろう。
 また明日から普段通りの生活に戻れる。この三日間はいいリフレッシュ期間となった。こうやってヒトと会話できたのはいい経験だ。自慢して回ろう。

「警備担当って何するんすか?」
「任された地域の巡回だ。一日の終わりにレポートを送信して終わり」

 胸ポケットにしまっていた通信端末を見せる。男は「スマホっぽいな……ちょっと触ってもいい?」と興味を持ったようだ。スマホというのは何なのかわからないが“ちょっと触る”ぐらいなら問題なかろう。
 わたしは男に通信端末を手渡した。

「お前たちはこうやって人間の技術の上澄みを掬って、自分たちの手柄として生きていくんだな」

 ゴンッ。
 鈍い音がした。脳が揺れる。膝を地面につく。

「さて、オレもネコ耳つけないと。ある程度見た目をそれっぽくしておかないとだ」

 頭が痛い。通信端末を渡した瞬間、後頭部を殴りつけられたようだ。
 血のついたコンクリートの破片が見える。

「解放してくれてありがとう、ネコちゃん。お礼にここで眠る権利をあげよう。オレはあのときみたいな人体実験の日々には戻りたくないんでね。悪く思わないでくれ」





【Last man standing.】

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