Jさんは昔遊び人だったと言ってはばからない。ただ、そのせいで怖い目に合ったので、今ではすっかり酒もギャンブルもやめたそうだ。
何があったのか尋ねると、ある時彼がブラック企業で深夜まで残業をさせられ帰宅しようとしていたときにふと立ち寄った居酒屋で飲んでいたところ、声をかけられた。今思うと終電も過ぎているのに何故居酒屋が普通に営業していたのかも疑問だがそのときは自分のことで精一杯だったそうで、気にもしなかったそうだ。
酒を飲んで酔い潰れそうになっていたとき、目の前に女性が座った。
「ここ、いいですよね?」
有無を言わせず相席してきて、誰だ? と思いつつ目の前の女性は無視して酒をあおると『そんなに飲むものじゃないですよ』と言われた。
ここは居酒屋だぞ、なにを言ってるんだとは思ったが、その人の有無を言わせぬ口調から、なんとなく白けてしまい、その人を残して会計をしようとした。そのとき後ろから『仕事は大事です、でも本当に命を賭けてはいけませんよ』と声がかかった。
その言葉が頭にこびりつき、翌日には目が覚めると退職届が書かれて鞄の横に置いてあった。
それを会社に出すと『ウチでダメなら他でやっていけるわけ無いぞ』などのお決まりの台詞を言われたが、退職の意志は固いと言うとしぶしぶ認めた。
それから再就職にはそれなりに苦労したが、今では並の生活は送れているという。ただ、お盆に実家に帰ったとき、仏壇に線香を供えようとすると、そこに母親の遺影が飾ってあるのに気づき、その面影があの時の居酒屋で相席した女性に似ていたので、まったく……何歳だと思ってるんだ……
そうは思いつつも供養をしっかりして、今では並の生活を送っているそうだ。
なお、あの日入った居酒屋は、前の会社からの帰り道をしらみつぶしに探したが見つからなかったそうだ。