●前書き
長編『廃絶すべし、娑輪馗廻(シャリンキエ)』(
https://kakuyomu.jp/works/16816700428547589844)には祝詞や呪文などの特殊な日本語が登場します。
意味が分からない方が怖くて良いという向きもあるかもしれませんが、あんまり意味が分からないと怖くないかもしれない……という可能性を考えて、以下に解説を記す次第です。ネタバレありなので、本編の該当部を読んでからどうぞ!
※わりと意訳しているので、厳密に古語と対応させていません。
●第2話
>『コノタビハ神慮メデタク、誠ニゴ同慶ノ至リデス』
現代語訳:
「このたびはめでたく神のおぼしめしで、この上ない慶事と喜びを共に出来ることお祝い致します」
>青人草(アオヒトクサ)
古事記に登場する(古事記の記述者から見た)一般の人々。
(高天原の)神々から見た人間のことのようだが、古事記ではどうも自由に刈り取ったり、いつの間にか生えているという雑な扱いをされている。
●第7話
>考妣君(かぞいろぎみ)
作中での解説どおり、かぞは父、いろは母、合わせてかぞいろ=両親の意。
ただし考は「亡き父」、妣は「亡き母」を示す漢字。
>蘇我土重新実(ぞがはにえにざね)
「此岸でも彼岸でもなく我岸に蘇せよと。天地に新しきの実身となりて」を略した聖なる八音。この世に生きることもなく、死んであの世に行くこともなく、新しい体に生まれ変わりなさい、の意。邪悪な呪言なので、あまり口にしてはいけません。
>「蘇我土重新実。あな尊き御言なるかも、あな畏き御教えなるかも。人の霊魂は畏くも豫母津神の授けたまふ処なり。霊魂の崇高神性を発揮ふ、是れぞ悟りの本領にして神餌に到るの道なり」
現代語訳:
「蘇我土重新実。なんて尊いお言葉でしょう、なんて尊い教えでしょう。人の霊魂は恐れ多くも豫母津神(黄泉津神)がお授けになりました。霊魂の崇高な神性を発揮すること、これこそ悟りの本領にして、神餌に至る道です」
>「漏岐生出敬一郎大人尊、神漏岐羽咋道眞郎男尊、神漏岐百舌鳥ヤマト郎男尊、幽冥主宰大神の神慮を体し、恩頼を願ひ啓導に預る理を知るべきなり」
>生死疑はず信倚すべし。
現代語訳:
「(略)幽冥主宰大神のおぼしめしを理解して従い、御恩徳を願い、導きを受ける理を知りましょう。生も死も疑わず、信じて頼るのです」
※「漏岐」は元々「神漏岐」で、これは「神漏美(かむろみ)」とともに使われる男女二柱の皇祖神の尊称。当然ながら皇祖ではないので神を外しています。
※「恩頼(みたまのふゆ)」
神や天皇の威力・恩恵・加護を敬って言う語。この場合は神の恩寵。
>麻賀禮(まかれ)候(そ)へ
現代語訳:
「お死になさい」
マカレは「禍(まが)れ」であり、罷(まか)るのマカレであり、そのまま「死んでしまえ」の意。候へは「お…なさい」という命令形。
「麻賀禮」と漢字があてられているのは、『古事記』にて、雉の鳴女(なきめ)を殺した天若日子(アメノワカヒコ)に、高木神(タカギノカミ(※高皇産霊神))がみことなりした文言に由来。由緒正しき呪詛。
‘’「或(も)し天若日子、命(めい)を誤(あやま)たず、悪しき神を射(う)つる矢の至りしならば、(この矢は)天若日子に中(あた)らざれ。或し邪(きたな)き心有らば、天若日子この矢に麻賀禮」‘’
>「言久は悲しき生出敬一郎大人尊の御前に、太蝕天娑馗聖者慎み敬ひて白さく。汝尊や二〇一八年七月二十七日二十時、今年四十六歳を一世の限りと身罷りましぬ。惜しくとも惜しく、哀しとも哀しき事の極みにぞ有りける」
現代語訳:
「口に出して言うのも悲しいことですが、(略)の御前で太蝕天娑馗聖者が慎み敬って申し上げます。あなたは二〇一八年七月二十七日二十時、今年四十六歳を人生の仕切りとしてお亡くなりになりました。惜しくも惜しく、悲しくも悲しみの極みであります」
※祝詞の場合、~慎み敬って申し上げますの部分は宮司の氏名が入ります。
>「あわれ汝尊は、一九七二年六月二十二日岡山県和気の里に、生出章太郎大人の真名子と生出たまひ、御功績高く顕したまひしか。あわれ空蝉の世ばかり、定めなきものは有らず、人の齢ばかり頼みがたきものは無かりけり」
現代語訳:
「ああ、あなたは一九七二年六月二十二日岡山県和気の里に生出章太郎さんの愛し子としてお生まれになり、高い功績をお上げになりました。それなのに、ああ、人の世ほど定まらないものはないことでございます。人の寿命ほどあてにならないものはございません」
>「斯く幽りませる御上を嘆き悲しみ惜しむも、慕ふ事も限りなければ。天翔りましし霊魂の再び帰り来まさむ事を祈奉り、言は巻くも由々しき生出敬一郎大人尊の神霊に、此の新しきの実身に還りませと慎み敬ひもしろす」
現代語訳:
「今はこのようにお亡くなりになられたことをを嘆き悲しみ、恋しく思うことも限り有りません。天空を飛んでおいでになった霊魂が、再び戻られるであろうことを祈念して、口に出すこともはばかられる(略)の神霊に、この新しい体にお還りくださいませと慎んで敬い申し上げます」