結局あの後は守衛室にいた男が自分の非を認めたということで、特にお咎め無しで俺は王都での滞在場所に帰還することになった。
俺がそれを聞いたのは、彼女から直接ではなく言伝を受けた別の生徒からだったが。
何でも彼女は貴族に呼び出されたとかで忙しくなってしまったらしい。
まあそういうこともあるだろうし、今更昔の幼馴染だからと声をかけるのも気がひけるので、丁度良かったと思うことにする。
おそらく【天職:魔法師】を持っている彼女は遥か高みにいるだろうし、一度底辺まで転がり落ちた俺が話しかけるべきではない。
以前見たことのある故郷の近くの街や、数年前までは滞在していた学問の街アルザイムよりも人通りの多い王都メルンの道を歩いていく。
行き先は王都の中でも中心付近にある貴族街。
その一角にあるハインルリッツ邸が、俺の王都での滞在場所だ。
門に近づくと、門の前で待機していた警備の兵が門を開けてくれる。
「おかえりなさいませ、マリウス様。ステファン様がお待ちです」
「ただいまカール。兄上が? 今度はなんの用事だろうか」
「はっ、私にはわかりませんが、急ぎの用である、と」
その言葉でもう帰りたくなくなってきたが、残念ながら家はもう目の前だ。
前回はいきなり『今年の魔法学院高等科の外部入学試験を受けろ』と手紙で指示を出してきた兄が、自ら出向いてくるほどの仕事。
いや自ら出向くと言っても兄のステファンは次期領主として王都での他の貴族連中と丁々発止のやり合いをしているので、王都にいるのはおかしなことではないのだが。
伝言ではなく自分で、というあたりが何か厄介ごとの気配がぷんぷんする。
邸宅に入ると、今度は待っていたメイドのリサが俺に向けて一礼をする。
「おかえりなさいませ、マリウス様。ステファン様が執務室でお待ちになっています」
「そこまで急ぎの用なのか。わかった、すぐに向かおう」
リサの言葉に、俺は自室に向かって着替えるのをやめて、家に帰ったその足でそのままステファンの執務室へと向かうことにする。
どんな忙しい時でも体裁を考えるステファンが、これほどに急いでいるということは、本当に何か重大なことが起きているのだろう。
ちなみに俺が貴族の養子になっている件についてだが、これには話せば短い理由がある。
もったいぶらずに言うと、アルザイムで俺の面倒を見てくれたグスタフ爺さんが、実はグスタフ・ハインルリッツ子爵という貴族だったのだ。
そして俺の成し遂げたことや手にした力を見て、これは後ろ盾が必要だと考えたらしい。
そこで自分の出身でもあるハインルリッツ侯爵家に俺を養子として入れることで、いざというときの庇護を求めた、というわけだ。
これは何も俺に限った話ではなく、宮廷魔法使いや護国魔法師に選出されるような魔法使いは皆やっていることらしい。
いくら個人の力が強いとはいえ、個人では様々な方向から貴族の数と権力による圧力を受けてしまえばひとたまりもない。
少なくともこの国で生きていくつもりであれば。
そして強力な力を持つ魔法使いが貴族からの圧力などで動くというのは国家として健全な状態ではない。
そこで、宮廷魔法使い以上の魔法使いは、それなりの大きさ、具体的には伯爵家以上の貴族に養子として入ることで、その庇護を得られるような慣例になっている、というわけだ。
圧力の代わりに義理の親からの命令に逆らえなくなると言われてしまえばそれはそうだが、そこは使い潰しても良い関係の無い魔法使いではなく、自分の庇護下にある有力な人間という扱いになる。
故に魔法使いに不要な圧力がかかることなく、魔物を倒したり他国の軍を退けたりとその任務をまっとうすることが出来る、という寸法だ。
そして俺はこのハインルリッツ侯爵家に庇護してもらう代わりに、時折魔物の討伐や蛮族の討伐などにこの力を貸している、というわけだ。
ステファンの執務室の前に到着して、先導していたリサがノックを2回。
「マリウス様をお連れしました」
「入れ」
室内からの返答に、リサには下がって貰って俺が自分で扉を開けて中に入る。
「ただいま兄上。急用だって聞いたが、何かあったのか?」
「ああ」
俺の質問に、義理の兄であるステファン・ハインルリッツは机から顔をあげると1枚の手紙を投げて寄越した。
俺に読めというのだろう。
内容としては、領地を統治している父と母からの手紙。
そして日常の報告等の後に書かれていた文章に、俺は目を見開いた。
色々と貴族の手紙らしく修飾語が多いが、要約するとこうだ。
『北方のカグリコ村から、山脈より魔物が降りてきたと報告があり、確認に向かわせた所これを確認した。魔物は竜種だが、ワイバーンではなくドラゴンの可能性が高い。既に複数の村が壊滅している。至急マリウスを派遣してくれ』
「なるほどね。そりゃ急ぐわけだ。すぐに発つよ」
「少し待て、今回はお前1人で行かせるわけにはいかん。相手はドラゴンだからな」
確かにステファンの言うことも一理ある。
ドラゴンという魔物は、全魔物種の中でも最も危険な部類に入る存在だと言って良い。
例え老齢の個体ではないにしても警戒は必要だ。
必要だが。
「それならそれで良いが……ドラゴンの相手を出来る者など他にいるか?」
必要だからこそ、生半可な人材はあてられないはずだ。
そう尋ねると、ステファンは全く動かない表情をそのままに返してきた。
「丁度お前が縁を作ってきたところだからな。魔法学院高等科の方に実践演習も兼ねて生徒を派遣するように依頼しておいた」
「もうそこ利用してんのかよ早いなおい」
どうせ俺に急に魔法学院に通えと言い出した理由は繋がりが作りたいとかそんなことだろうと思っていたが。
それにしても利用するのが流石に早くないか、兄上よ。
「ちゃんと出来るやつなんだろうな。ドラゴン相手に他人の面倒までは見きれんぞ」
「心配するな。特に成績が優秀な人物に依頼しておいた。もうまもなく到着するはずだが」
ステファンの言葉のまさに直後、執務室の扉をノックする音が響いた。
「ステファン様、お客様をお連れしました」
「入ってくれ」
その返答を受けて、入口の扉が開かれる。
そして入ってきたのは、見覚えのある女性だった。
「レシーナ・ウルフェンベルク、ドラゴンの退治を依頼したいと伺い参上しました」
「ありがとうございます。レシーナさん早速で悪いが本題に入らせてください」
レシーナ・ウルフェンベルク。
おそらく彼女も、俺と同じように貴族の家に養子に入ったのだろう。
その証拠に、彼女の姓であるウルフェンベルクはこの国でも5家しか存在しない公爵家の姓と同じだ。
そしてステファンも、今のレシーナがそういう格のある家の人間だからこそ、ここまで丁寧な対応をしているのだろう。
俺が偶に連れて行かれたパーティー等で年上の貴族と話しているときのステファンと、どこか対応が似ている。
「こちらが私の領地の大まかな地図になるのですが──ああ、ありがとうリサ下がってくれて良いよ」
「かしこまりました」
地図を広げてドラゴンの出現した位置と都市の位置関係の説明をしているところにメイドのリサが飲み物を運んでくる。
これはおそらくステファンへの仕込みだろう。
メイドにも優しい対応をしているところをみせることで、レシーナからの警戒心を弱めようとしているのだ。
そしてそれは実際に成功しているようで、部屋に入ってすぐは僅かに強張っていたレシーナの表情がほぐれている。
普段ならメイドに対してお礼を言うような人では無いんだけどな。
本当にこういうところ卒がない姿を見せられると、養子には入ったけど俺には貴族は無理だというのがよく分かる。
だから俺は家が関係なくなるように宮廷魔法使いになっておきたいのだ。
いくら家を離れたいからといって、お世話になりっぱなしの現在でいきなり出奔とかはしたくないし。
「というのが今の所領地から鳥で来た連絡です。悪くすればもう1つか2つ村が無くなっているやも……」
「……それほどの状況でしたら、私などではなく宮廷魔法使いか護国魔法師の派遣を王城に依頼した方が良いのではないでしょうか。私1人では、ドラゴンの討伐は厳しいでしょうから」
「いえ、うちにも一応あてに出来る戦力がいまして。ただ1人では心許ないので、宮廷魔法使いの方とは言わないけれどサポートをしてくれる方がいればと考えまして。その結果魔法学院で優秀な成績を残されているレシーナ様にお願いした次第です」
本当にステファン兄上はこういうのがうまい。
こういうところは本当に敬意を持って兄上と呼びたくなるぐらいにはうまい。
今の言葉で、ステファンはレシーナが穏当に断る道を断ったのだ。
あとレシーナが断れるとすれば、今所属している貴族の家を持ち出して断ることぐらい。
だが、そうなってくると公爵家、侯爵家の間での力関係であったり信頼関係の話になってきたりするので、レシーナとしてはそれはしたくない。
で、結局ステファンの話を呑むしか無くなる。
魔法学院の生徒ってこんな感じで戦力として扱われうるんだな、というのが俺の感想だ。
そういうのは軍の魔法師や宮廷魔法師、場合によっては冒険者などに依頼するものだと思っていたのだ。
いや、あるいはレシーナが高等科に数年留まっているために、既に宮廷魔法使いと同じかそれ以上の評価を貴族界隈で受けているのか。
ステファンが何を思って彼女を呼んだのかわからないが、まあ彼女は素が悪い人物ではないし、普通に任務をこなして普通に達成することもできるだろう。
そんな事を考えながら、結局レシーナが参戦する方針で2人が話しているのを部屋の隅から眺めていたからだろうか。
俺の方を見たステファンが、ニコリと笑うと俺の方へ手招きをしてきながら口を開く。
「マリウスもこっちに来い」
こいつ、最後の最後で一個ぶっこんで来やがったな。