テーマは『自分のような名もない存在が、巨匠を語って(評価)していいのか?』。
これは宗教改革の構図に似ている気がします。
権威(評論家)を通じて語るのがカトリック的だとすれば、
一人ひとりが自らの感性で巨匠と向き合うのはプロテスタント的だという対比です。
歴史を振り返れば、近代の民主化や産業革命の原動力になったと言われているプロテスタント、
『個人の自立』を重んじる精神でした。
今、AIの登場によって既存のギルド(作家組合など)の壁が低くなり、創作のあり方が激変しています。
組織の力よりも、個人の解釈や発信が力を持つ時代。
例えば『果てしない少女戦記』を語るなら、
カトリック的評価は「シェイクスピアやニーチェの思想に照らして良作」と文脈を重んじ、
プロテスタント的評価は「これ大好き!」「いや、鬼滅を超えたとか認めない」といった個人の情動を肯定します。
こうした個人の試行錯誤こそが、
次世代の『新しい大作』を生む土壌になるはずです。
かつて死後に評価されたゴッホのような才能も、
AIが評価をブーストする現代なら、
存命中にマネタイズが可能だったかもしれません。
もしそうなら、彼が残せたはずの作品はもっと多かったのではないか……そんな想像も膨らみます。
ある評論家が「彼の一番の功績はコンテンツ産業に話題を提供したことだ」と語っていましたが、
作家も観客も巻き込んだ産業全体の盛り上がりこそが、
今の転換点に咲く花なのだと感じます。
ではその次って何が来るのでしょうか?
未来は誰にもわからないし神は決して語らない
ゆえに私たちは言葉を紡いでゆくしかないのだと思います。