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驚きました。そして、衝撃でした。

最初その速報を目にしたとき、一瞬、あの端正な顔が浮かんだけれど、まさか、あんな若い方がそれはないだろう、きっと私の知らない同名の方が存在したんだ……と、思いました。

記事を開くと、お写真が出て、衝撃を受けました。

正直に言えば、べつに、とくに熱心なファンだったわけではないのですが、きりりとした眉目の醸す誠実そうな雰囲気が迚も美しく、凛々しくありながらも仄かな色気と少年っぽい無邪気さが同居した稀有な演じ手だと思っていました。とくに、サムライハイスクールというドラマの彼が大変に魅力的だと今でも思っています。昨今では珍しいような、憧れる種類の日本男児。

その彼が、もう、この世に居ない。

驚きました。

意識していなかったけれども、最近またよく見かけるようになっていたので、順調だと疑わなかった。
感受性の強そうな瞳が印象的だった。でも、その特性は、彼自身に死を決断させるほどの苦痛をも齎したのだろうか。
たった、30年。
その中で彼が残した作品は見事に鮮やかで、これからも増えていくはずだったと思うと、哀惜の念に堪えない。

ただ、惜しい。
生きてさえいれば、もしかしたら明日、その苦患を和らげてくれる存在との出逢いがあったかもしれない。
墜ちていく心が受け止められる何かに、救われたかもしれない。
生きてさえ、いれば。

仕事なんて行かなくてもいい。
会いたくない人に合わせなくてもいい。
厭なことなら、逃げてしまえばいい。
きっと愛してくれるなにかが、いつかは、目の前に現れたはず。
だって、今でも、大勢の人々が彼という存在を愛し、大切にしているのだから。

だから、現在進行形で彼のように自分を消そうと思いつめている人の魂に、心が叫んでしまう。
生きてさえいれば、それで充分なんだよ!

これまでもこれからも、他人にばかり責める言葉を突きつけて逃げ道も許さないような正義信仰という邪悪に染まった人でなしに、声を限りに叫びたくなってしまう。
生かすための諫言でないのなら、黙っていろ!

自らの罪を知ろうともせず、他者ばかりを断罪するような集団に加わる存在を、心底から嫌悪する。

責めてはいけないとは、言わない。
でも、一瞬でも逃げ隠れを許さないほどの苛烈な責めが、一体、誰の救済になるのだろう?
反省させたいなら、隠れさせるべきなんだ。
ひとは孤独の中で考えて、自分を省みる。律する。正す。
自ら死ぬまで誰かを追いつめて、その結果、誰が幸せになれる?
責めた人間の幸せだって、そこには存在しない。

そもそも。
誰だって過ちや罪を犯す。
ミスだってする。
利己的になることも、ある。
だから、もう、責め尽くすのは、止めよう。

考えや価値観が違うだけのことだってあるのだから、糾弾ではなく対話をしよう。
言い分を聞こう。
罪にも理由がある。
それが、間違っていることでも、それでも受け止めてから、「その言行は、あなたにとっても良くないよ」って諫めよう。

だって、人間同士なんだから。

自分の言葉が、行動が、相手を死なせるかもしれないと、戒めを忘れないようにしよう。

そして、苦しんでいる方には。
自らを消さなければと思いつめてしまうようなことを言ったりしたりしてくる相手には、反撃していい。それは、お互いを生かすための攻撃だ。そして、自分と相手を生かすために戦って、頑張ってダメだったら、逃げよう。
自分が生きるために、相手を生かすために、逃げよう。
死ぬことは逃げることですらないから。
死ぬことは、ただ、すべてを断ち切ってしまうだけ。

逃げて、生きて。
誰に嫌われても、まだ会ったことのない誰かが、あなたと出逢おうと生きているから。

私の中では凛とした姿のまま逝ってしまった、尊いひとよ。
多くの人が、あなたを忘れない。
あなたを惜しんでいる。
死してなお、苦しむことがないように、祈ります。

そして、いま同じように生を手放そうとしている誰かを押し留める存在になってくださいますように。それだけの力を、存命中に育てた、あなただから。
弔い、祀り、祷る、日本に生まれてくださって、人々に薫陶を授けていながらも苦しまれた、尊いひと。
あなたが残した作品を、また、何度でも、心に刻みたいと思います。

こんな死が、もう、起きないように。
独善に生きる人間にならないように私自身も自戒します。
皆の心に、誰も傷つけない、本当の正義が広がりますように。

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