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吾奏伸の作品を読んでいただき、ありがとうございました。

現在、吾奏はカクヨムにて2つの小説作品を公開しています。

▶ 長編「ネッ禁法時代:東京試炸例(トーキョー・バースト・プロトタイプ)」
▶ 短編「ボーイ・ミーツ・AI」

それぞれに好評をいただいておりますが、吾奏に興味を持たれた読者におかれましては、ぜひとも両方を手にとっていただきたいと切に願います。

また、当方ツイッター( @nen10baka )にて読者との交流をはかっておりますが、ツイッターアカウントをお持ちでない方もおられると思います。何か伝えたいことがあれば、こちらのコメント欄をご活用ください。

7件のコメント

  •  初めまして。
     数週間と前に「#シナ説変換法 」の方を読み、以来この作法のお世話になっている千場葉と申します。

     数々の小説作法を参考にしてきましたが、どうにもプロットから実際の文に持って行く過程で、何か一つプロセスが足りないと思っていたところ、こちらの手引きに行き当たり、私にとっての多大なヒントとなりました。

     現在別のサイトで投稿している小説があるのですが、こちらの手法をいただいたおかげで、私なりに納得のいく内容を打ち出すことが出来ました。

     まだ使い込みが浅く、文字数を予測出来るとこまではいっておりません。それでも、「シナリオ」という簡易な完成を先に見られる手法はストーリーの再構成を行いやすく、完成度の高い小説をめざす上での強力なツールだと思います。

     経験に基づいた貴重な作法を公開してくださり、本当にありがとうございました。
  • 千葉さん、初めまして。コメント嬉しいです。 あれを書いた意義があると思うとホッとします。

    というのも、アマチュア作家なりに誰もが自前の「創作論」を持っていると思いますが、「アマチュアの創作論なんて開陳するようなものではない」という自覚も(一応)ありました。しかしシナリオから出発する方法(#シナ説変換法) に限っては、「映像で育った世代の新しい小説執筆法として、映像世代には知ってもらって損はない」と思えるものでした。

    しかし、やっぱり気恥ずかしさはあったので「とにかく自分が映像仕事で培ったノウハウ(の中で、一般的に真似してもらって問題ないと胸を張れる部分)をなるべくぶち込もう」という覚悟を決め、ああいう内容とあいなりました。「お役立ちできなければ、削除すべき」とも思っていた次第です。

    #シナ説変換法への反応がとてもいいのは、皆様が私同様、映画やテレビの作品を観て育った世代だからだと想像します。創作論としては亜流も亜流、無手勝流殺法ではありますが、出来上がってみればまごうことなき小説に違いありません。お互い満足できる作品が残せるよう、これからも頑張りましょう!
  •  先日は私の方の近況ノートに丁寧にお知らせをくださり、ありがとうございました。

     吾奏さんの「#シナ説変換法 」を使わせていただき、作品を完成させた結果、某カクヨムのライバルサイトにて「日間文学ジャンル4位」にまで入り込むという、自分にとってはこれまでにない成果を生み出すことが出来ました。

     これも一重に、プロットをシナリオにし、それをもとに再構成を繰り返せる、「#シナ説変換法 」という大きなヒントをくださった吾奏さんのおかげだと思っています。

     書いた作品が多くの人に読まれるという、夢のような一時を与えてくださり、ありがとうございました。
  • こちらこそ、光栄です!
  • こんにちは。「ボーイ・ミーツ・AI」面白かったです。
    一点、「それを今、あえてアップデーターによりすべからく無効化した。」の文は、「すべからく」の誤用だと思います。読んでいて気になったので、もったいないなと。
  • ご指摘ありがとうございます!早速直しました。
  • 吾奏です。志田様、拙作を読了いただきありがとうございました。ぜひ長編の方もどうぞ。ボーイ~の10倍以上は心血を注いだ作品です(10倍面白いとはさすがに申しませんがw)。かわいがってやってほしいと思います。

    お話にあった批評行為についての吾奏見解を補足します。吾奏は(ツイッターにて何度か発言しておりますが)「創作サークル活動として、信頼関係を持つ仲間同士がお互いの作品を批評しあう」という行為については、なんら問題ないと考えています。

    吾奏自身、創作パートナーとの意見交換によって作品を鍛える、ということを実行しております。プロの作家ならば編集者の批評眼以上に、自分自身の自作への批評眼が拠り所となるはずです。その点において、<批評する力を鍛える>プロセスは極めて重要に思います。

    しかし、一方で「まったく信頼関係の築けない人間同士が公の場で批評的意見を戦わせる」という行為については(ランキングなどに関わるが故)「他人の作品の値打ちを下げる目的で、その作風に難癖をつけているのではないか」といった誤解を生じやすく、と同時に「そういう自分の作品こそ、言った通りの出来になっていないじゃないか」といった反論をうける(いわゆるブーメラン)ことが予想されます。

    特に私の属する映像業界では「プライベートで他人の作品をけなすのはしょっちゅうだけど、わざわざブログに書いたりするのはご法度」という暗黙のルールが徹底されています(若手の映画監督がプロデビューする際、先輩に注意され、あわてて過去のブログ記事を消したりします…)。井〇氏が映画評で食えているのは特例中の特例で、ぶっちゃけていうと「彼が映画で食ってない」という事情の現れともいえる。評論行為をすることとクリエイターとして踏みとどまるということは、お互いトレードオフと考えるほかありません。

    そういうわけで、公的な場で他人の作品を唐突に評じるということはお勧めしかねます。カクヨム内では芳賀さんや八艘飛さんが行った「作者からの要望を受け付け、希望された作品にのみ批評を行う」という行為のみ吾奏は賛同します。以上です。
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