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詩人はモテる のサブタイトルに★をつけている件について

詩にしかできないこと、小説にしかできないこと、マンガやアニメにしかできないこと。

そういうところを初めは考えて、ぎこちなく創作論と恋愛小説を組み合わせたら、バランスが悪い書き方になってしまった。

詩の強みが、いつの時代でも通じる普遍性のようなもの。

小説はある時代の人の葛藤や行動を登場人物を役者のように演じさせることができるのが強み。

マンガやアニメはリアル以上に想像させる演出の持つフィクション性が強み。


詩、マンガやアニメでは、露骨になるようなシーンでも、小説ならいけるかなって思う時が、まだある。

(だんだん自粛の雰囲気は強くなっていて、気づきにくい演出か、テンプレートの表現になりつつあるけれど)

ライトノベルは、性描写の自粛がマンガやアニメに近い気がする。
(純文学は性描写に関しては、かなり過激なものも許容されている。詩でも、俳句は露骨な性描写の言葉を使うと、バレ句といって、川柳寄りになる。短歌や散文詩は純文学の小説と同じで、許容範囲は広い)

ちょっと露骨な描写などのところには、サブタイトルのところに★をつけてみました。


新宿に集まる家から逃げ出してきた子供たちが、ニュースになったりしているけれど、2000年前後(天皇陛下の崩御前後?)から、ずっと同じ問題が続いている気がして、場所が渋谷や池袋、秋葉原だったりで時代によって場所が変わっているだけな気がする。
犯罪の内容もヤクザや日本に入ってきているマフィア?の衰退などもあってちがうけれど、利用して金儲けの道具にされる危険はあるのは、今も変わらない気がする。

そうしたことも思い浮かべながら書いています。

1件のコメント

  • 性描写は、最近、ホワイト社会という言葉があるぐらいで、女性に対する差別的表現として指摘される書かれ方が多かったのも事実。

    そこは主人公の本宮勝己と同じように、僕もとても悩みながら手探りで書いています。

    じゃあ書かなければいいのに、という御意見もあると思われますが、恋愛感情の表現とスキンシップとしてあるものだったことも、差別的とは言わないけれど、ないものにする虚構性はどうなんだろう?と思う。

    マンガの「ワンピース」とかを考えると、徹底的に性描写の自粛が作者によってされている。
    友情や青春のフィクション化の成功例なのかもしれない。
    登場人物の性差が目立たないようにする表現技術なところがマナーのように、掲載されていたのが少年誌(今では読者が少年ではないかもしれない。内容は少女マンガの傾向と似ていく過程に「ワンピース」はあった気がする)だったこともある。

    ライトノベルも同じような流れはあるのではないか?
    そんな気がする。
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