記録②

 祖父が死んだ朝は、目が覚めた次の瞬間に、母が部屋に入ってきた。普段なら10時11時に起きて尚眠い私が、6時半に勝手に目覚めたのだから不思議だ。しかし当時はそんなことを考えている暇もなく、深刻な顔で「じいじが死んだ」という母に、言葉を発せないまま最低限の身支度をした。
 祖父は半年前に肺癌が発見され、半年経つかという頃に死んだ。癌で死んだというよりは、気管にできた腫瘍のせいで、心臓がもたずに死んだ――急激な老衰?――という方が合っていると思う。元々、2頭身遡っても問題のある家庭だ。呆然とはしたが、泣き崩れたりはしなかった。
 病室に入ると、一足先に駆けつけていた祖母が、祖父の名前を悲痛な声で呼んでおり、父は隣で涙を流していた。市内に住む兄も、私とほぼ同じ時間に病室に到着した。
「顔を見せてやって」
 と、父が私と兄の背を押した。ここまでくると、流石に涙が込み上げてきた。人の死体は蝋人形のようで恐ろしいのを覚えていたから、ちょっと怖かった。とはいえ拒む理由もなく、ベッドの脇に立った。硬そうに閉じたまぶたと唇が開くことは二度とないと直感で分かり、涙がこぼれそうになったその瞬間、
 祖父が目を空けた。
 目が合った。絶対に。理屈をこねまわしたところでどうにもならないが、人が目を合わせるという動作は、物凄くシビアな、限定的な仕草という。だから今はやりのVtuberなんかも、視聴者に「目が合った」と感じさせるのはほとんど無理だと聞いたことがある。だから、絶対に間違いじゃない。
 一瞬で涙は引っ込んだ。心臓が固まった錯覚を覚えたのも束の間、医者によって報告が行われ、エンバーミングのために親族は外に出された。ロビーにいる間、ずっとさっきのことを考えていた。目が合った、目が合った。
 その後、通夜が終わり葬儀の流れになると、段々落ち着いてきて、あれは勘違いだったと思うようになった。あの時ベッドサイドには、私と兄が隣同士立っていた。兄が何もいっていないのだから、祖父は目を空けていなかったのだ。自分が思っているよりもショックを受けていて、幻覚に似たものが見えただけだ。そう自分を納得させた。
 それからすべてが終わり、親族も解散しようかという時、兄がぽつりといった。
「……じいちゃんとさあ、一瞬目、合ったんだよね」
 体中に微細な電気が走った感覚だった。いつ、と聞かずともあの時だと分かった。
「私も。病院で」
 というと、兄は「やっぱり合ったよね!?」と驚いたように確認してきた。いやしかし、それはおかしい。人間が二人と同時に目を合わせるなんて不可能だろう。父は感極まったように「孫が大好きだったから、一瞬帰ってきたのかもね」と涙ぐんでいたが、ンなこたぁどうでも良いのだ。こっちの涙腺は緩む気配も見せなかった。
 まあ、あの時は死後30分ほどしか経っていなかったというし、聴覚は死んでからも機能しているとかいうし、医学的・生物学的に見たら、多分あり得ることだろう。それからしばらく、視界の端にチラチラ灰が見える日があったが、同時期に家庭内問題でストレスフルな状態が続いていたことを鑑みれば、十中八九ストレスだろう。

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