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ペンダコとマメと皮の剥けた、右手人差し指。

 皆様、こんばんは。約三日間、創作活動から離れて、自分自身と向き合っておりました。生永祥です。

 今日は今まで、余り口にしなかった、生永の創作活動の姿勢や思いについて、言葉で綴らせて頂きます。長文です。お付き合い頂けるかたは読み進めて頂けますと、有難いです。




 冒頭でもお話させて頂きました通り、生永、約三日間、創作活動から、ほとんど離れておりました。理由は、鬱に陥っていたからです。

 落ち込んだ経緯を皆様にお話するのは如何なものか、と思ったのですが、勇気を出して書いてみることに致しました。


 先週末から生永、かなり堕ちておりました。理由は五点あります。

 ①公募に出していた小説が立て続けに落選した。

 ②オンラインで参加させて頂いた歌会にて、作品の投票があったのですが、そこで最下位だった。

 ③自身が描きたいものがあるのにも関わらず、自身が納得できる文章が、先週末から、全然書けなくなった。

 ④初心を忘れた。

 ⑤評価ばかりを気にするようになった。
 

 生永の書くものは、今の時流に乗っていません。そのことは執筆活動を始めたときから理解していたつもりでした。

 私の文章は、一般の人にはとっつきにくい傾向があり、受け入れられにくい可能性がある。そして私の書くものが、癖が強く、我が強いことも、自分自身で気が付いておりました。

 つまりメジャーではなくて、ものすごくマイナーでニッチでコアである、ということです。


 特に小説はそれが顕著にでております。私の作品には転生者も、悪役令嬢も、もふもふしたモンスターも、カッコよいスキルを持った主人公も出てきません。

 華やかで、煌びやかな舞台設定や、個性的な登場人物も出てきません。

 当初、自分も世のスタンスにのっとったお話を書こうかと、挑戦したこともありました。ですが、今の私には書くことが出来ませんでした。


 そのとき私は「出来ないものは出来ないのだからしょうがない。それならば、私は無理せず、背伸びせず、等身大でかけるものを書くことにしよう」と心に決めました。そして「創作活動を出来るこの瞬間に感謝することを忘れない」と心に刻みました。

 自分を偽って文章を書くほど私は器用ではありません。そして、自身を誤魔化して執筆をしていたら、何時か、自分の心に歪が出て、自身の心が壊れてしまう。

 そう予想していました。

 最初はこの思いを胸に刻んで、創作活動を行っておりました。「書くだけで、幸せ。読んで頂けたらなお、幸せ。それで良い。それだけで良い」とそう強く思っておりました。

 
 しかし、6月から公募やコンテストに作品を応募するようになってから、私の心に欲が出てきました。

 「もっと読んで頂きたい。もっと評価が頂きたい」

 すると無理なペースで執筆をしたり、寝ずに文章を書いたり。精神的にも疲弊していきました。

 「もっと読んで頂くには、もっと評価をして頂くには、どうすれば良いのか」

 そんな考えばかりがこの二ヵ月弱の間、ずっと頭に浮かんでいました。

 そして今週末、遂に私の心は限界がきました。鬱の到来です。

 このままでは本当に駄目になる。

 そう思って三日間、ほとんど(仕事以外は)何もせず、ただひたすら、私は自分自身と向き合いました。


 向き合っていて何度も思うことがありました。それは私が何故、文章を書くのか。という自分自身への問いです。

 評価や賞を頂けるのは理想であり、憧れです。ですが私にはそれ以上に大切なものがあることに気が付きました。



 私が創作活動を書く理由。それは『誰が為に鐘は鳴る』です。

 鐘は皆に知らせを、気付きを与えてくれているようで、実は自分自身のために鳴ってくれている。という意味の言葉ですが、これが私の創作活動の原点だと感じました。

 そうです。私は私の幸せのために執筆をしているのです。これは正直、私のエゴです。

 きっと読み手のかたからみたら「こいつ、書き手として、読者を置いてけぼりにして文章を書くなんて、なんてわがままな奴なんだ」と思われることと思います。ですが、これが私の文章を書く原動力なのです。

 評価や賞は、頂ければそれはそれで、嬉しいと思います。

 ですが私の根底にあるのは、書く喜び、書く幸せ、書く楽しさを。この全身で、この心いっぱいで、感じることなのです。

 そのことに気が付いたら、ものすごく心が軽くなりました。


「あぁ。私は自身の根本となる部分を見失っていたんだな」ということに改めて気が付きました。

 私はどうやらとても大切なことを見失っていたようです。

 私は私の幸せの追求のためにこれからも文章を書きます。そして例え読者が居なくても私は文章を書き続けます。

 言葉を紡ぐ、それが私にとっての幸せであり、存在理由だからです。



 今日、改めて、私の心の言葉をこの世に送り出す、自身の手を見てみました。

 インクで汚れた手はペンダコだらけ。マメも出来ていて、タイピングのし過ぎで、指の腹の皮がずるりと剥けていました。

 これだけ私は執筆してきたのです。

 このことを私は恥じていました。「こんなに書いてきたのに、全然私の作品は駄目だ」と。でも今は違います。「ここまで手がボロボロになるくらい頑張って書いてきたんだ!だからもっと自分のことを褒めて良い」と。

 そう思ったら、自身が誇らしく見えてきました。



 これからも私は執筆活動を続けます。この経験はきっと私にとって、今後の糧となります、そう確信しております。落ち込んでいたのに、結果的には逆に少し自信が付きました。結果オーライですね!

 最後になりますが、こんな心情を書き殴った無茶苦茶な文章を最後まで、読んでくださった貴方様。


 本当にありがとうございました!

 生永祥は、これからも精進して参ります。

 皆様これからも、未熟な書き手とその作品達をどうかよろしくお願い致します。^^

2件のコメント

  • 生永さんも、書くこと≒生きること な人なのですね。
    (*^_^*)
    どうか
    ご自分のために、ご自分の幸せのために、お書きください。
  • 結音(Yuine)様。

     こんばんは。お返事が大変遅くなりました。本当に申し訳ございません。

     はい!私にとって書くことは生きていくうえで欠くことの出来ない、大切なものです。そして私の幸せには執筆はなくてはならないものです。

     今回はそのことに気が付くことが出来まして、本当に良かったと思っております。

     結音(Yuine)様の温かくお優しいお言葉に、益々自身の思いが確固たるものとなりました。

     いつも本当にありがとうございます。

     今後とも宜しくお願い致します。
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