8月末に書き始めてから、およそ一月半が過ぎた今日。
『老潜機鋼ヘルダイバー』は、全9話を以て無事に完結する事が出来ました!
読んで頂けた方、そしてレビューして下さった方、心から感謝申し上げます。これだけ変わったロボ作品を追い続けて下さって、本当にありがとうございました!
この老潜機鋼ヘルダイバーという作品は、まさに皆さまに支えられていた作品と言っても過言ではありません。
特に、多様な視点から頂けたレビューの数々には、作品そのものへフィードバックされた部分が多々あります。自分では気付けなかったようなフレーズ、作品の方向性、そういった要素の集大成があのラストバトルに繋がっているのです。
『深淵の底、澱む木星の最奥に走る音の光』
――――ながやん氏
『僕らが想像するロボ作品の先の物語の形』
――――柏沢蒼海氏
『誰もが驚くであろうジジイどもという言葉』
――――紅葉紅葉氏
『既に棺に片足突っ込んじゃってる(失礼)80にもなろうかという「ジジイ」が主人公』
――――村雲唯円氏
『これは一人の男が命を手に入れる物語なのだ』
――――seal氏
『少年、青年たちよこれが「老人」だ!』
――――甘味亭太丸氏
『孫に付き添うようにある決断をするお爺ちゃん』
――――ミレニあん氏
『かっこよすぎるぜ爺さん達!』
――――椎那優城氏
完結までに頂けたレビューの中で、作品へフィードバックされたフレーズを(勝手に)抜粋してみました。
こうして改めて拝見すると、どれもブル爺さんやチャック爺さんのキャラ造形や展開に影響を与えて下さったものばかりです。
そして、ヘルダイバーを書き進めていく中で、大きなターニングポイントとなったフレーズがありました。
それは、第3話や第4話にて語られたブルの想い。半世紀にも亘って溜め込んで来た疑問を表している、この一文です。
『果たして自分には、敵を沈めてまで生き残る価値があったのか』
この一文を書けた瞬間、「これだ!」と思いました。
出力した一文を見た途端、それまで脳内にあった物語構想が一気に固まるような感覚を覚えたのです。
ブルという男が抱えて来た後悔、疑問、無力感、それがまさに物語の柱となって確立された瞬間でもありました。
思い返してみれば不思議なもので、この時にようやくラストバトルの意味合いも固まったのだと思います。やっている事自体は構想段階と大差ありませんが、そこに込められた意味合いは相当変わりました。
勿論、老人の人生の幕引きに相応しい方向へ、です。
ブル爺さんは、アイを”護る”ためにこそ再起しました。
かつてのように敵の命を”奪う”為に力を振るうのではなく、”護る”為にこそ戦いに赴くのです。
勿論、敵の命を奪ってしまえば話が早いのは確かですが、ブル爺さんはそれを良しとしなかった。これまでに数多の敵の命を奪い、半世紀にも亘って自らの命の価値に苦しみ続けて来た彼だからこそ、辿り着いた答えでした。
作中でチャックも言っていたように、”バカな”ことです。
……ただしこの爺さん、半端な覚悟では無かった。
その”バカ”を貫き通す覚悟を持ってしまったのがブル爺さんで、彼は人生を賭けて一つの答えに辿り着いたのです。
ラストシーン、ガイストとの決着がまさにそうですね。
『不殺』と言ってしまえば単純なものですが、ブル爺さんにとってのそれは、血に塗れた人生の末に見出した生き方だったのです。
それはやはり、
『果たして自分には、敵を沈めてまで生き残る価値があったのか』
という自問に苛まれて来たからこそ、だったはずです。
それだけ、この一文は「老潜機鋼ヘルダイバー」という物語において、重要な意味を持っていました。
そのことを忘れないうちに、近況ノートのあとがきという形で書き残しておきます(最近、物忘れが……
ここまで長々と後書きを書いてしまいましたが、どうかお許しください。
ここに書いたのはあくまで自分の見解でしか無いので、読者の皆さんそれぞれに感じ取って頂いたドラマがあるのだと思います。どうかこんなあとがきには惑わされず、そのドラマを思い出してやって下さい。
それこそが大深度ミッションの記録になるのだと、信じています。
一つの作品を書き終えた事で、間違いなくちょっとハイになっているのだと思いますね。そうでもなければこんな小っ恥ずかしい事書けないもの……
とはいえ、自分にとっては本当に貴重な経験となりました。
改めてここに完結を報告すると共に、皆さまへの感謝を述べておきたいと思います。
ブルとチャックに付き合って頂いて、本当にありがとうございました!
拙作への感想・レビュー、これからもお待ちしております!
(ここでは取り上げ切れませんでしたが、草風水樹氏、 東雲メメ氏も素敵なレビューをありがとうございました)