このお話はウィキペディアのコロンビア空軍のクフィルTC10の写真を見ながら考えました。
「うおーっ!
!めっちゃくちゃコテコテしていて俺好み!」みたいな機体なんだけど、心のどこかで「でも、シンプルなミラージュが好きな人には気に入らんだろうなあ」と思った。それが、原点だった。
「メカはシンプルな方がいいorコテコテ一杯がいい」は、どっちがいいかはメカ好きは永遠に結論が出ないんだろうけど自分はF-16も素のやつよりもスーファ(またイスラエルだよ)の方が好きかなあと言う立場だけど、多分ステルス機の進化の内に主流派ではなくなると思っている。
物語の展開は、自分が干支一週分「デュシェーヌ親父の青い鳥」に生息して思ったことを書いたつもりです。「敵」を見つけて嗤う、バカにする。そのくせ自分が批判されると向きになって精神的勝利を宣言する。そんな騒ぎをずっと見続けて「でも、ここれはこいつらの逆鱗だったんだろう」みたいに見逃し続けて、もう関わるんのかと後退したオタク界隈でのフェミニズム問題、AI問題で限界に達した。
どうして自分が価値を見出せないものに価値がないと決めつけれるのか。
自分がどうして絶対客観だと信じれるのか。
それが真として、どうして己の正義に泥と糞を塗る言葉を吐き続けるのか
私はもうすべてが嫌になった。現在はミリタリー界隈の大御所数人を回るぐらいで済ませている。既にスマホからは入れないようにした。
サユリはもう一度目を閉ざした世界への黙禱そのものです。決して知らない。決して理解できないけど、必死に生きている誰かへの応援歌。ラブレター。ただ、そんな人に祈りたい、そんな意味合いを込めたキャラクターです。
だから、そう、サユリの「懺悔」に理解できなくても主人公は同情を示した。人間とは、こういう事なんじゃあないかな。ひたすら解像度を上げて相手の劣悪な部分を集めて嗤って、それでドラッグストアのポイントよりも無意味なポイントを貯めるよるは、遥かに価値があると思う。