仕事を溜め込みすぎてしまったため、しばらくは仕事に専念します。読書の時間も、合間に作っていければいいのですが。先月と今月は、かなりたくさんの商品が売れました。さあ、頑張ろう!
人気時代小説家となった、とある先生とラッキーでお話ができたのは、3年ほど前。
色んな話をしたのですが、ふいに先生が、こう話しました。
「なんか、凄いね。ここまで凄いと、逆に何か持っているかもしれない」
あ、これは呆れられたな。あるいは馬鹿にされているな。
でも、私は、こうも思いました。「本当に何か持っているかもしれない。正体不明な、何かを」
私は現在、小説とは全く異なる分野のクリエイターとして活動しています。
主に立体的なものを作ります。数種類。材料や作り方は様々。
自分が表現したいものを、立体的に表現する。これが成功し、商品となりました。
制作を始めたのは、カクヨムに登録したあと。新しい趣味ができたのも、趣味が商売になったのも、カクヨム登録後です。
表現したいものを立体的に表現するのは、とても難しかった。表現したいように作れない。きちんと作ったはずだけど、何かが違う。
とても悩んだし、苦しかった。
人生初の立体的創造物は、商売を始めた月に売れました。その次の創造物も。そのあとがなかなか続かず、本当に辛かった。
今は複数のものを作っています。また、新しい創造物にも挑戦する予定です。でもって、絶対に商品にしてみせる。
私は、自分が持っているかもしれない何かを、確実に表現したい。表現できたところで絶対に売れるわけではないため、なかなか売れないと、心がへし折れます。
でも、私は表現し続けます。
私は、表現する行為そのものが好きです。動画を作製し配信したこともあった。『歌ってみた』という表現方法が好きになり、とある歌い手と仲良くなった。コミュニティを作り、生放送をした。
でも、作った動画は、自分が表現したものではない物を使っている。歌ってみたも、私が歌ったわけではない。私が作った動画でもない。
とある人気漫画家が好きになり、ファンレターを月イチで送った。発行部数1000万部超えの、人気少年漫画家。絵が好きで、物語が好きで、作品のことばかり考えた。
年に1〜2回、漫画家先生のイラストとサインが印刷され、直筆らしい一言メッセージが書かれた葉書が届いた。3年ほど、幸せな気持ちを味わった。
私は先生に憧れた。漫画は描けないけれど、それでも憧れた。
先生のように表現したい。先生みたいに表現したい。先生みたいな表現者になりたい。
私は、表現者になりたい。
漫画を描いた経験もある。画材を揃え、Gペンや丸ペンで絵を描いた。
子供の頃、水彩画が好きだった。描いた作品は、だいたい賞に選ばれた。だいたい、佳作。佳作でも嬉しかった。
抽象画が好きらしい。授業で描いた作品が、市のコンクールの準特選を受賞した。上から二番目の賞だった。悔しくて泣いた。眠くて、手を抜いた。授業時間だけでは足りず、家で描いた。提出前夜、眠さのあまり、手を抜いた。もしも手を抜かなかったら特選を受賞しただろうか。それともやっぱり、準特選だっただろうか。
授業で、市が募集しているポスターを描くことになった。準特選を受賞して、私の作品はポスターになった。市で二枚だけ選ばれた作品は、CMとなってTVでも放送された。
たまたま、特選も私の学校から選ばれた。特選に選ばれた彼女は、全国集会の壇上で表彰された。準特選の私は表彰されなかった。市内でたった二人しか選ばれない賞の二位を受賞したけれど、スルー。
何が悔しいって、手を抜いて描いた自分自身だ!
どうして手を抜いたんだ。前年に手を抜いて市内二位となって泣いたはずなのに。
また、手を抜いて、市内二位。また二位。
習字のコンクールも、そう。いつも二位。二位の小さなトロフィーばかりある。
悔しいから、もう、手を抜きたくない。
いい歳の大人になった今でも、手を抜いた後悔を忘れることができない。
作るなら、趣味では終わらせない。必ず商品にしてみせる。腕を磨き、表現力を磨き、自分が持っているかもしれない何を、確実に表現する。
私は、表現者になりたい。