少し体調を壊してて本文の在庫もネタも無いし……な感じなので。
関係無いけど過去の偉人話を一つ。
Wikipediaにも載ってないし、載せてどうする? なネタでもあるので、この辺でちょこっと。
昔々のことじゃった。
石ノ森・特撮ドラマ系の流れに関係性ぶった切りでポンと登場した作品、『がんばれ・レッドビッキーズ!』なるものがありました。
少年野球チーム・レッドビッキーズの子供達を中心に、その家族達も含んだ人間ドラマで、続編もつくられ大変人気をはくした作品でありました。
大筋や設定等はWikipedia参照で割愛するとして、今回の小話は、かの作品とは別のメディアで展開された石ノ森先生のトンデモ話。
まず背景として。
当時、漫画雑誌の状況は、いわゆるトキワ荘組をブラックを軽く凌駕するスケジュールで週刊少年誌と少女誌に磨り潰す環境……の限界にきてる感じのもんでした。
各誌は新たな看板作家を、また既存のスタジオは自社のスタッフの増加育成に血眼……のように見える努力が垣間見えてたわけです。
その一つが、雑誌誌面にて募集する新人やら、増刊や別冊扱いで頻繁に出してた『漫画家になるための技術書』っぽいやつだったわけです。
さて、ここからが本題。
この文章を書いた時点、Wikipediaでは、がんばれ・レッドビッキーズ!の企画をざっくり洋ドラのレッドベアーズを元ネタと記してます。
が、上記の環境の中、石ノ森先生が一風変わった漫画家育成マンガを連載しやがりました。載せた雑誌はテレビランドで、内容も多くて数ページ、掲載も不定期で、正直、一ページだけポロンと載せてた時なんて見落とす前提でありましたわ。
連載期間はどれ程だったでしょう、半年か一年か、正直記憶がアヤフヤです。
そしてそれが、レッドビッキーズを題材にしたものだったというわけです。
原本はとっくに処分してますし、うろ覚えの記憶を元にはしてますが、先生が冒頭に描いた『なぜこの作品を描いたか』の宣言だけは……大体な感じで憶えています。
『僕は今まで、マンガを描くための技術をしたためた本はたくさん出しましたが、今回は漫画家として食っていくための知識をここに記そうと思います』
まあ、確かこんな内容だったはずです。
そして始まるのは、マンガを描くではなく、マンガ作品を創作しそれを商業ベースに乗せるための企画全般の流れでございました。
最初の方では単純に作品の概要設定の決め方を実践。
一例を挙げますと――
・自分の描きたい作品に固執せず、世間がどのような作品を求めているかの観察力。
そこから当時はダントツの人気スポーツだった野球を選択。
しかし読者層が子供なので、プロ野球より少年野球の方が共感を得られる、としてジュニア野球の場を舞台とする。
・少年野球で男の子を主人公にするのは鉄板だが、その作風は当時の他作品で多数あるのも確か。なのでここでは、意外性を持たし女の子を主人公にする。
・野球のメンバーは9人。それぞれに個性を持たせたキャラクター設定を組んでいく。
ここで人数的にサイボーグ009っぽい特徴持ちが増えた上に、メンバーが子供じゃねーのがいるじゃんか的なツッコミが読み手が出る感じのキャラ多し。
(そしてここでのキャラクター設定のラフ画が、テレビ放映時のオープニングにも流されてましたね)
これらの設定を組む話の際に、何度も繰り返して描いていたのが純粋な創作行為に偏らないで、利益を出せる商売として成功させるための創作だという警告。
まぁ、要するに、1970年代のあの当時から読者に、漫画家が出版社に対しする企画コンペの基本を伝えようとしてたわけです。
ただ問題は、それを掲載したのが読者層10代未満が平均年齢の子供特撮雑誌だったというギャグ展開。
またこの連載、オチも大変強烈でしたね。
最終回、これでもう読者は売れて面白いと称される作品を描くための意識を立派に学べたわけです。
実際、成功するかは時の運としても先生自身が読者をそう語って送り出すな展開にもしてました。
そして最後の最後に、こう言ったわけですよ。
『さて皆さん、今まで一緒にこの作品を創ってきましたが、実はこの作品、明日(だったか来週だったかは記憶がアヤフヤ)からテレビで放送されることになりました。……ドラマ作品として!』
私、思わず誌面にツッコみましたね。
『マンガでもアニメでもないんかーい!』
ええもう、冗談じゃなくマジで。