「生中、もう一杯!」
煙が立ち込める安っぽい居酒屋のテーブルで、ケンジがやけに弾んだ声で叫んだ。手にした空のジョッキを軽く掲げてみせる。向かいに座る俺、タクヤは、焼き鳥のねぎまを咀嚼しながら、曖昧に頷いた。
「お前、今日なんかいいことでもあったのか?やけにご機嫌じゃねえか」
「おうよ!あったりめえだろ!」
新しいビールが運ばれてくるのを待たずに、ケンジは身を乗り出してきた。その目は、まるで宝くじでも当てたかのようにギラギラしている。
「なあ。おれクルマ買ったんだ!新車だぜ!」
「……は?」
思わず、飲み込みかけた鶏肉が喉に詰まりそうになった。慌ててお冷やで流し込む。
「マジかよ、お前。金あったのかそんな」
「おうすげーな、って言えよまず!」
「いや、すげーけど!何買ったんだ?まさかローン地獄か?」
「まあまあ、落ち着けって」
ケンジはニヤリと笑うと、届いたばかりの生ビールをぐいっと呷った。白い泡が口ひげのように付着する。
「明日来るんだよ。俺の新しい相棒がな」
「へえ、そりゃ楽しみだな。で、車種は?アクアとかノートとか、そのへんか?」
俺が現実的な車種を挙げると、ケンジは待ってましたとばかりに人差し指を立てた。
「聞いて驚けよ。走行距離12万キロの、ピッカピカの新車(笑)」
「は?」
一瞬、俺の思考が完全に停止した。
12万キロ?新車?日本語として成立していない。こいつ、ついに酔っ払って頭がおかしくなったか。
「……おいケンジ。12万キロっつったら、地球3周分だぞ。それがどうして新車なんだよ」
俺の至極まっとうなツッコミに、ケンジは腹を抱えて笑い出した。
「いや(笑)新車だろ?俺にとっては、な。新しく俺の物になったんだから、新車なんだよ!俺史上、初めてのマイカーなんだぜ!」
そういうことか。
呆れてため息が出た。こいつの、こういう屁理屈と妙にポジティブなところは今に始まったことじゃない。
「…そりゃまあ、理屈はそうだが…。んで、いくらしたんだ?その『新車』は」
俺が呆れ半分、興味半分で尋ねると、ケンジは勝ち誇った顔で指を3本立てた。
「車検2年付き、夏冬タイヤも込みで、全部コミコミ30万!」
「…安っ!」
今度は俺が素で驚く番だった。30万なら、原付きバイクの新車くらいの値段だ。
「だろ?10年落ちのシルバーのステーションワゴンさ。まあ、よく見りゃ細かい傷だらけだし、シートには謎のシミもある。けど、エンジンは絶好調だってさ。前のオーナーが大事に乗ってたらしい」
ケンジはまるで自分の子供を自慢するように語る。
「名前も決めてあるんだ。『シルバーアロー号』だ!」
「ダセェ…」
「うるせえ!これからこいつで、キャンプ行ったり、海行ったりすんだよ。夢が広がるだろ?」
ジョッキを掲げるケンジの顔は、本当に嬉しそうだった。
12万キロ走ったボロいワゴン。しかし、こいつにとっては、どこまでも走っていけるピカピカの希望の乗り物なんだろう。
「なるほどな…お前らしいわ。しゃあねえ、そのシルバーアロー号の納車祝いだ。今日は俺がおごってやるよ」
「マジで!?よっしゃあ!じゃあ、刺し盛りも頼んじゃう!?」
「調子に乗んな」
俺たちはまたジョッキを合わせた。
カツン、と軽い音が店内に響く。
やれやれと首を振りながらも、俺の顔には、呆れと親しみが入り混じった笑みが浮かんでいた。