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(割り勘? そんなの絶対ヤダ)

(割り勘? そんなの絶対ヤダ)

キラキラのネイルで飾った指先でグラスを持ちながら、私は内心で悪態をついた。今日のターゲットは、向かいに座る爽やかイケメンのタカシ君。外資系勤務、腕時計は高級ブランド。間違いない、彼は「払える男」だ。

「すごーい! タカシさん、お話面白いですね!」
「このお店、お料理も美味しいー!」

私は完璧な笑顔と上目遣いを駆使して、せっせと自分の価値を高める。可愛く着飾って、場を盛り上げて、にこやかに相槌を打つ。これだけの感情労働をしているのだから、飲み代くらい男性が払うべき。それが私の哲学であり、生存戦略だった。

チラリ、とテーブルの隅に視線をやる。
さっきから一言も喋らず、面白くなさそうにビールを飲んでいる男。たしか、自己紹介で「田中です」とだけ言った、塩顔の地味な人。その田中さんが、時折、私を値踏みするような、冷めた目で見ているのに気づいていた。

(なによ、あの目。僻み?)

不愉快な視線は無視して、私はタカシ君へのアピールに集中した。

宴もたけなわ、いよいよ会計の時間。幹事がスマホを片手に声を張り上げた。
「はい、じゃあお会計! 男子6000円、女子は4000円でお願いしまーす!」

来た。この瞬間が、今日のクライマックス。
私は眉を八の字に下げ、困った子猫のような表情を作る。そして、タカシ君の袖をちょん、と引いて囁いた。

「えー…タカシくぅん…♡」

これで完璧。タカシ君は「しょうがないな」と笑って、私の分まで払ってくれるはず。いつもそうだった。

だが、その甘い空気を切り裂くように、低く、冷たい声が響いた。

「いや、きっちり割り勘でいいでしょ」

声の主は、田中さんだった。
全員の視線が彼に集まる。彼は、私をまっすぐに見つめて、続けた。

「俺は、自分の価値を他人の財布で測るような人には、1円も払う気になれないんで」

ガツン、と頭を殴られたような衝撃。
空気が凍りつき、私の顔から血の気が引いていくのが分かった。屈辱と怒りで、唇が震える。周りの女子がどうやって払っているのかも、タカシ君がどんな顔をしているのかも、もう見えなかった。
私は乱暴にバッグから財布を取り出すと、1万円札をテーブルに叩きつけた。

「…お釣りは、いりませんっ!」

そう言い放ち、逃げるように店を飛び出した。
悔しい。悔しい。悔しい。
あんな言われ方、あんまりだ。涙が滲んで、夜景が歪む。

「あの」

背後から声をかけられ、ビクリと肩が震えた。振り返ると、あの田中さんが立っていた。

「な、なんですか! これ以上、私に説教するつもり!?」
「いえ」

彼は無言で、私の手に何かを押し付けた。くしゃり、とした感触。それは、さっき私が払った4000円分の、千円札四枚だった。

「…何よ、これ。同情? 施し?」
「違います」

彼は、初めて少しだけ笑ったように見えた。

「投資です」
「……は?」
「あなたは、自分の価値を信じている。その自信は、嫌いじゃない。ただ、やり方が致命的に安っぽい。あなたの価値は、たかが数千円の飲み代で安売りしていいものじゃない」

彼の言葉は、刃物のように鋭く、それでいて不思議な優しさがあった。

「俺は、あなたのその捻じ曲がったプライドに投資したいと思った。だからこれは、俺からの出資金です。それで、もっと価値のある女になってみせてください」

今まで誰も言ってくれなかった。
甘やかしてくれる男か、呆れて離れていく男しかいなかった。こんなふうに、私の本質を射抜いて、叱咤激励してくれた人なんて。

私は、ぐしゃぐしゃになった千円札を握りしめた。涙は、いつの間にか止まっていた。

「…じゃあ、この4000円、借りといてあげます」
顔を上げ、精一杯の強がりで彼を睨みつける。
「ちゃんと、倍にして返しますから。次のデートで」

私の宣戦布告に、彼は満足そうに頷いた。

「いいですね、その意気だ。じゃあ、次のデート代は、俺が全額出しますよ」
「…え?」
「未来のパートナー候補への、先行投資です。これは『奢り』じゃない。あくまでも『投資』なんで、お間違えなく」

そう言って笑う彼の顔は、もう地味だなんて思わなかった。
割り勘なんて大嫌い。男性が払うべき。
うん、そうよ。
ただし、私の価値を正しく理解してくれる、最高の投資家だけが、その権利を持つべきだ。

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