第4話 アクシデント

 パンゲア歴3560年 5月 (事故発生直後)

@ファーイースト駅


 「アムリン聖国ご在住のフェン・サオ様ですね。こちらが入国証明証ですので、滞在中は常に携帯するようお願いいたします」

 「わかりました。ありがとうございます」

 「では、良い旅を……」


 グラム皇国の隣国:アムリン聖国から魔導列車を乗り継いで皇国東端の駅:ファーイーストに到着。ちょうど皇国入国審査を終えたこの男は、フェン・サオという皇国に買い付けに来たしがない古物商だ。正確には、アンシャン帝国のスパイ。俺、シュウ・アラタ中尉が扮する仮初の姿だが……。


 「大変だ!! 大変だ!! グラムインからの高速列車とイーストの鈍行列車が衝突事故起こしたってよ」

 「なんだって!? これから出張で急いでるってのに……」

 「おいおい、駅員さん! この切符は払い戻しできるのか? 」

 「駅員さんや! 孫がさっきの普通列車に乗っているんじゃ……。事故を起こした列車は何時発のものか教えてくだされ…」

 「我々駅員にも詳しい内容が届いていないんです。いろいろ情報が錯綜しているので、わかり次第、皆さんにお知らせしますから駅舎にてもう少しお待ちください!! 」


 入国審査を終え、駅舎へ着いた俺を迎えたのは、いつもののどかな田舎町の閑散とした雰囲気ではなく、多数の客と地元民が殺到する混乱カオスであった。


「グラムインからの列車が衝突事故だと……?」


 普段は隣国:アムリン聖国が担当地域の俺は、グラム皇国の担当者と情報の受け渡しを行うためにここまでやって来た。だが、不幸なことに相手方にアクシデントが発生したようだ……。たしか潜伏名は、という名で長期潜伏のやり手だったはずだ。


 我々アンシャン帝国の諜報員はケガ程度なら医療知識もあるしなんとかなるだろう。だが、死亡していた場合は厄介なことになる。


 「俺の勘は、よく当たるんだよなぁ……」


 列車事故とはいえ、乗員全てが亡くなるなんてことはそんなにないだろう。リャン・チーも被害に合ってない可能性だって十分にある。だが、俺の勘は最悪のパターンを想定しろと言っていた。


 スパイには情報提供者や内通者といった独自の駒があり、それらを利用して活動する。彼らがスパイに協力する理由は様々で、金、女、権力、はたまた脅迫や弱みを握られているなど……。リャン・チーも長期潜伏スパイとして活動していたからには、その握っていた諜報網は膨大だったはずだ。そして手綱を握る人間が急に消えた場合、混乱が発生することは明白だ。


 数年にも及んで構築された情報網を失うとすれば、我々の損失は計り知れない。最悪の場合、皇国のスパイ狩り達にその混乱を嗅ぎ付けられて、他のスパイ達の活動にも飛び火する場合がある……。できれば列車事故の現場に行き仲間の安否を確かめたいが、ケガ程度で済んでいる場合、代替手段を使って予定通りこの駅にやってくる可能性もゼロではない……。


 果たして俺は、どうするべきか……。


 「助けが必要かな? アラタ中尉」


 唐突に告げられた俺の本名に、背中の汗が止まらない。


 駅舎にいたのは地元民とたまたま居合わせた乗客たち……。周囲に不審人物はいないことを確認していたはずなのに聞こえたその声へ、俺は引き攣る表情を抑えて振り返るのだった。


 そこに居たのは、先ほどまで俺の隣で駅員に切符の払い戻しについて確認していた、だった。彼はたまたま居合わせた田舎の青年……。そのはずだが、俺を見つめる彼の顔には、見覚えのあるニヒルな笑顔が張り付いているようだった。


 「シノダ中佐……」


 アンシャン帝国諜報部のスパイマスターで各国に散らばる我々の直属の上司。あらゆる場所に溶け込み、どんな人物にも成り済ます。かつて、諜報機関の後進国だったアンシャン帝国の中で頭抜けたスパイ実績を築き、グラム皇国や北の強国:アニムン連邦と渡り合えるほどの実力を持つ、伝説的レジェンド存在だ。


 「リャン・チーの持ってくる報告に私が南東戦線に持っていく予定の情報が含まれていてね。お前の任務とは別でここまで出向いていたのだが……。ついでだからその任務パイプ役は私が引き継ごう。」

 

 ニヒルな笑顔は一瞬で消え、好青年の顔で俺にそんな提案を持ちかける人物シノダ中佐。その声は指向性が強い独特な発声方法を使っていて、ある一定の距離、方角の人間にしか聞こえず、周囲に漏れ聞こえることはない。


 「その代わり、君はリャン・チー……、いや、マユズミ大尉の代わりをしばらく務めてくれ」


 当初の任務では、情報の引き渡しを終えたらアムリン聖国にトンボ帰り、皇国の情報をアンシャン帝国へ流す簡単なパイプ役の予定だったんだがなぁ。もう一人のスパイリャン・チー=マユズミ大尉が死亡、もしくはそれに準ずるような事態に巻き込まれたと推定し、皇国内の情報網の手綱を握っておけということか……。


 「一時的とはいえ長期潜入者の代わりとは、俺には荷が重いですねぇ。マユズミ大尉が、無事なことを祈りますよ……」

 「……私も、このような事故で部下を二階級特進させたくはない……」


 完全無欠のスパイマスター。俺がそう思っていた中佐の顔は、その一瞬だけ、悲しみに歪んだかのように見えた……。


 「駅の向かいにバス停がある。そこからグラムインまで直通バスが出ているはずだ。列車に比べれば時間はかかるが、お前は皇国諜報部に嗅ぎまわられる前に首都に赴き、協力者達の手綱を握っておけ」

 「了解しました。中佐は、どうします? 」

 「俺は地元警察に溶け込み、救助活動に参加してマユズミを探す。変装は、俺のお得意だ」


 中佐はそう言うとまた、あのニヒルな笑顔を一瞬のぞかせたかと思うと俺のそばから離れてゆく。そしてそのままシノダ中佐扮する優し気な好青年は、混乱してごった返す人込みをかき分けてファーイースト駅舎を出て行った。


 どうやってマユズミ大尉のスパイの痕跡を消してゆこうか……。まずはグラムインで大尉が使っていたアジトを引き払うことからだな。


 事故というイレギュラーから思考を入れ替えた俺も、そんなことを考えながら中佐の消えた駅舎出入り口に向かって歩み始めるのだった。

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帝国のスパイマスター シャーロック @royalstraightflush

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