第31回 外科医の子供時代と第一次大戦勃発

 正直に白状すると、このノンフィクションThe Facemaker、まずプロローグに描かれる戦争の様子が凄惨すぎて全く読書が進みませんでした。

 自分はホラー小説が好きで、人間が残酷に殺される物語を楽しむ悪趣味な人間です。しかし、どんな残酷性でもエンタメとして消費できるかというと勿論そんなことはなく、史実に基づいた虚構、たとえば戦争映画だとか、このFacamakerのようなノンフィクションにおける残酷さ、暴力性は、苦手です。


 プロローグの重苦しさに比べると、それに続く第一章は本書の主人公である外科医の生い立ちを追うもので、軽やかです。といっても、彼の人生は決して順風満帆ではなかったのですが。


  1917年11月、フランスでのドイツ軍との激戦で顔面に重症を負ったPrivate Percy Clareが、辛くも一命をとりとめ本国イギリスに戻った喜びも束の間、鏡に映る自身の姿を見て絶望します。


 彼の救世主となるはずの外科医Harold Gilliesは、ロンドンの病院での研修を終えたばかりの1910年、Maryleboneというおしゃれエリアに診療所を構える裕福な開業医Sir Milsom Reesにゴルフの腕を見込まれて職をゲット、高給取りになっていました。彼のボスRees医師は、Royal Opera Houseでオペラ歌手のコンサルタントなどしていたため、研修医時代にotorhinolaryngologyにおおいに興味を示していたGilliesが抜擢されたそうです。

 で、otorhinoなんちゃらとは何ぞやというと:


[O]torhinolaryngology, a surgical subspecialty that deals more broadly with conditions of the head and neck. Those who work in this field more commonly refer to it as ENT (ear, nose, and throat).

(22頁)


Otorhinolaryngologyは、平たく言うとENT、つまり耳鼻咽喉科学のことですね。


 Harold Gilliesは1982年6月17日ニュージーランド生まれ。彼の祖父はスコットランドから長男Robertを伴って1852年に移住。測量士として移住先に落ち着いたRobertがEmilyと恋に落ちてHaroldが誕生。父Robertはアマチュア天文学者で、彼の幼少期は5人の兄たちと自然を駆け回り、不運な怪我に見舞われることがあっても、とても幸福なものでした:


Early in life, Gillies fractured an elbow while sliding down the long banisters in the family home, which permanently restricted the range of motion of his right arm. It was a disability that later spurred him to invent an ergonomic needle-holder for use in the operation theater to compensate for his limited ability to rotate his hand.

(24頁)


大きな屋敷に住んでいたことが災いして、長い階段の手すりを滑り降りた際に肘を骨折してしまったGillies、右手が不自由になってしまいます。階段の手すり。小学校の時に自分もやった覚えがあります。あれはえらく楽しいかったけど、一歩間違えば危険な遊びですね。

 将来の外科医としては致命的な怪我のように思えます。というか、並みの人間ならば手が不自由だったら外科医は目指さない気がするのですが、彼はそれを補う道具を発明することで不自由を乗り越えてしまいます。なかなか不屈の人物ですね。


 彼のお母さんもまた不屈の人物でした。Gilliesの4歳の誕生日の二日前、一家に大打撃となる不幸が訪れます:


That morning, one of his brothers climbed the stairs to check on their father, who had complained of feeling unwell the precious evening. When he entered the bed room, he found Robert Gillies alert and in good spirits. His father told him that he would soon join everyone for breakfast in the dining room downstairs.


安堵して一家の主が現れるのを待っていた家族は、30分経過しても彼が姿を見せなかったため不安にな、Gilliesの兄が再び様子を見に行きます:


A shock awaited him in the bedroom. Lying motionless on the mattress was Robert Gillies, dead from a sudden aneurysm at the age of fifty.

(24頁)


8人(!)の子供を抱えて寡婦になってしまったお母さん、Aucklandの実家近くに引っ越します。かなりの苦労があったに違いありませんが、そこはあまりくだくだ説明されません。ただ、Gilliesが8歳の時にイングランドの学校に送られたり、彼の兄弟たちはみな弁護士になったのに彼だけが異なる職業についたこと――”I thought another profession should be represented in the family,” he joked.(25頁)――などから、お金の苦労はそれほどなかったことが窺えます。

 そしてGillies君、大学はCamblidgeだそうです。めっちゃ優秀なんですが、奨学金のほとんどをモーターバイクに費やすなど(ええんかいな)、かなりの変わり者だったようです。


 まあ、そのくらいでないと、他者が考えつかないような偉業はなかなか達成できないですよねえ。



【ここまでの引用は図書館から借りていた米国版ペーパーバックでしたが、いくら他に借り手がいないとはいえ一人で長期間借りっぱなしでいることに罪悪感を抱き、Kindle版を購入しました。これ以降の引用は、英国版の電子書籍からになります。アメリカ版ペーパーバックおよび、まったく映えない英国Kindle版の書影は近況ノートでご覧いただけます:https://kakuyomu.jp/users/shunday_oa/news/16817330665841952243



 めでたく医学部を卒業し、ナースを奥さんにし、プライベートなクリニック(お金持ち御用達の個人診療所)に雇われロンドンに移住、と順風満帆にキャリアを積み重ねていたGillies君の将来を決定づける大事件が勃発します。


The trouble had begun a month earlier. A Serbian nationalist named Gavrilo Princip had shot the Austrian archduke Franz Ferdinand and his wife, Sophie, Duchess of Hohenberg, while they were visiting Sarajevo.

(27頁)


ああ、始まってしまいましたか。ここでいうa month earlierは1914年6月です。歴史の授業で寝ていた自分は、「あーなんかWikipediaで読んだわ」ぐらいなものなのですが、第一次世界大戦の引き金となったとされる、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで発生したオーストリア皇太子夫妻暗殺事件。



*********

The Facemakerの読書が停滞しているためこちらのエッセイの更新も二ヶ月以上滞っておりましたが、本を読んでいなかったわけではなくて。


個人的にかなり落ち込むことが、カクヨムとは全く無関係なところでありまして、自分を慰めるのも褒美をあたえるのも、とりあえず本だ本、という自分は、傷を癒やすために、4.50 from Paddingtonを読み始め、こちらは読了しました。


Agatha Christie、しかもミス・マープルものは、大切にとっておこうと思っていたのですが、まあおっそろしく気分が落ち込んだ自分を慰めてくれるのはミス・マープルしかいないってことで。へへへ。

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洋書(英語)を読んでみよう 春泥 @shunday_oa

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