第30回 戦争と整形手術の関係

******

原書からの引用部分に戦場の悲惨な状況や残虐行為の描写が含まれます。

******


 長いタイトルが示す通り、The Facemaker: A Visionary Surgeon's Battle to Mend the Disfigured Soldiers of World War I は第一次世界大戦で顔面を激しく損傷した兵士のために整形外科手術の技術を飛躍的に向上させた実在する外科医の物語――のはずです。まだ読み始めたばかりなので、詳細は追々。


 武器の性能が飛躍的に上がったことにより、最初の世界大戦ではそれまでとは桁違いの犠牲者が出たこと、さらに、現在の美容整形術は、戦争で顔面を負傷した兵士のための整形手術の技術革新があったおかげであるということは、うっすらと知っていましたが、この本の主人公Harold Gilliesの名前は知りませんでした。


 The Facemakerのプロローグには、主役はまだほとんど登場しません。もう一人の主要登場人物と思しき一兵卒、Private Percy Clareが、ベルギー国境に近いフランスCambraiでのドイツ軍との熾烈な攻防の様子を語ります。


 昔『プライベート・ライアン』という映画がありましたね。戦争映画は残酷シーン満載のはずなので絶対に観ないことにしているためいまだに未鑑賞ですが、この「プライベート」は兵士の階級(一番下の下級兵士)ということなんですね。こういうの、ちゃんと訳した邦題にしてもらいたいです。『マイ・プライベート・アイダホ』の「プライベート」と『プライベート・ライアン』の「プライベート」はまったく異なる意味だなんて、なんだか詐欺に遭った気分ですよ。


 己の無知は棚にあげて先に進みます。


 時は1917年11月20日、間もなく夜が明けるという時刻。下級兵士の Clareは最前線で突撃命令を待っています:


On the dewy grass of a nearby hillside, Private Percy Clare of the 7th Battalion, East Surrey Regiment, was lying on his belly next to his commanding officer, awaiting the signal to advance.

 Thirty minutes earlier, he had watched as hundreds of tanks rumbled over the soggy terrain . . . . Under the cover of darkness, British troops had gained ground. But what had the appearance of a victory soon deteriorated into a hellish massacre for both side.

(3頁)


戦車が初めて大活躍したのがこの第一次世界大戦ですが、兵器の進化は戦争を簡単に楽ちんなものにするわけではありません。ただ破壊の度合いや犠牲者の数が飛躍的に上がるだけです。死体の処理が追いつかなくなった戦場はこうなります:


 The horror of these sights was exacerbated by the stench that accompanied them. The sickly-sweet scent of rotting flesh permeated the air for miles in all directions. A soldier could smell the front before he could see it. The stink clung to the stale bread he ate, the stagnant water he drank, the tattered uniform he wore.

(4頁)


 Private Clareは36歳、第一次世界大戦の勃発により戦地に駆り出された民間人です。敵・仲間ともに夥しい死に遭遇し、自身も二度と日の出を見ることはないかもしれないと悲痛な覚悟をしています。死体を見ることやその臭いには慣れてしまった彼でも、死にゆく者の姿は、例え敵兵であっても耐え難かったといいます:


Once, he had stumbled upon two German cowering in a trench, their chests ripped open by shrapnel. The soldiers bore an uncanny resemblance to each other, leading Clare to conclude that they were father and son. The sight of their faces―"ghastly white, their features livid and quivering, their eyes so full of pain, horror and terror, perhaps each on account of the other"―haunted him.

(4-5頁)


Clareは負傷した敵兵の側で救援を待ちますが、程なく彼らを置いて移動することを余儀なくされます。この瀕死の敵兵親子の末路は悲惨でした:


Only later did he discovered that a friend named Bean had thrust his bayonet into their bellies after Clare had quit the scene.


Clareは友人Beanの行為に激怒します:


”I told him he would ever survive this action; that I didn’t believe God would suffer so cowardly and cruel a deed to go unpunished."


この予言通り、Clareはのちに、友人Beanが塹壕で腐乱死体と化しているところに遭遇します。

 行いが正しい者は救われるのかというと、もちろんそんなことはありません。心が清かろうと邪悪だろうと、近代兵器は無差別に人間の肉体を破壊します:


 Then, seven hundred yards from the trench, he felt a sharp blow to the side of his face. A single bullet had torn through both his cheeks. Blood cascaded from his mouth and nostrils, soaking the front of his uniform. Clare opened his mouth to scream, but no sound escaped. His face was too badly maimed to even arrange itself into a grimace of pain.

(6頁)


彼は瀕死の状態で救護を待ちます。医療班のキャパをはるかに上回る死傷者が量産される戦場で、助かる見込みのない重傷者は、そのまま捨て置かれます。しかし、大怪我を負ったからといって、そう簡単には死ねないということは、先にドイツ人親子の兵士の例で見た通りです。それを思うと、彼らの腹に銃剣を突き刺したというClareの友人の行為は、それほどひどい行いだったのだろうかと思えてしまいます。少なくとも、助かる見込みのない父子の苦しみを短くしたのだから。


 いや、ひどいですよ。


 戦場において善良な一市民まで残虐行為に手を染めてしまうということは度々耳にします。そのような精神状態に自らを置くことで、崩壊しかかった精神の均衡をどうにか保っているのかもしれません。戦場においてより辛い思いをするのは、良心を捨てなかったClareか、それとも敵兵を残酷に扱った彼の友Beanか、答えは明白です。

 だからといってBeanの行動が正当化されるとは思いません。酷い行為です。でも、自分がもし戦場に送られたとして、彼のようにならないという自信はわたしにはありません。


 あやうく助ける価値のない重傷者とトリアージされかけたClareですが、たまたま血を流しながら横たわる彼を発見した友人が救護班を熱心に説得したことにより担架で運ばれ、一命をとりとめます。

 しかし、それが幸運だったとか神のご加護だなどと吞気に喜べないことは一目瞭然です。特別な治療が必要だと戦地フランスから本国イギリスに搬送されたClareは、鏡に映った自分の顔を見てショックを受けます:


With a heavy heart, he concluded, ”I was an unlovely object.”

(17頁)


戦争で四肢のどれかを失った兵士は英雄でも、顔面を激しく損傷した兵士は、化物モンスターのように扱われてしまうという辛い現実がClareを待ち受けていました。

 そこで救世主、外科医Harold Gilliesが登場します。



=====

引用は全て、下記米国版ペーパーバックからです:


Fitzharris, Lindsey. The Facemaker: A Visionary Surgeon's Battle to Mend the Disfigured Soldiers of World War I. 2022. Picador, 2023

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る