The Facemaker by Lindsey Fitzharris (Medical Historian)

第29回 Medical Historianのお仕事

 アガサ・クリスティーの次に読むのは、第一次世界大戦で活躍した外科医に関するノンフィクション、医学歴史家リンジー・フィッツハリス博士による現時点での最新作 The Facemaker: A Visionary Surgeon's Battle to Mend the Disfigured Soldiers of World War I です。副題が長いですが、この副題の通りの内容なので、親切なラノベ風タイトルと言えるでしょうか。


「現時点での最新作」と書いたのは、次の作品がもうじき発売されるからです:


Plague-Busters!: Medicine's Battles with History's Deadliest Diseases

(2023年10月10日発売)


ホラー好きにはおなじみの、口ばしの長い鳥みたいな不気味なマスクを被ったペスト・ドクター(plague doctor)が表紙という児童書で、こちらも面白そうです!


 今自分の手元にあるThe Facemakerは図書館からの借り物です。最初にフィッツハリス博士(Dr Lindsey Fitzharrisは医師ではなく、博士号を取得した歴史学者)の本に出合ったのも図書館でした。『ヴィクトリア朝医療の歴史:外科医ジョゼフ・リスターと歴史を変えた治療法』という格調高い邦題に、ホラー好きとしてのアンテナが反応を示しました。


 無麻酔で行われるヴィクトリア朝時代の外科手術は、まさしく拷問そのもの。


 そんな悪趣味な期待と恐れを抱きながら図書館から借りた本では、歴史家の淡々とした筆致で麻酔がなかった頃の外科手術の様子が語られ、これがもう生半可なホラー小説より残酷で恐ろしい。

 幸い、この本の主人公リスター医師のキャリアの初め、19世紀の半ばに全身麻酔が手術に導入されるようになりますが、リスター医師の最大の功績は、術後に発生する壊疽など、院内感染症の原因を、パスツールの細菌研究の結果をもとに突き止めたことにあります。

 当時の医学界では、感染症の原因物質は、淀んだ空気から自然発生すると考えられており、病院の衛生観念は恐ろしく低かった。というより、衛生観念なんて、ほぼありませんでした。「傷口にばい菌が入ったらダメ」という現代なら子供でも知っているような知識が当時の医師たちにはなかったため、前の患者の血や諸々がべっとり付着した手術器具を洗浄しないで次の患者に使ったりしていました。


 まさに地獄絵図です。


 当時は外科手術自体が命の危険を伴うものでしたが、せっかく拷問のような手術を生き抜いても、患者の多くは傷口が化膿して死亡してしまう。病院はそれ故に、一度入ったら生きては出られないところとして恐れられていました。

 そのような不潔極まりない死の館を、現在に通じる衛生状態を重んじる病院に変えた先駆者、それが外科医ジョゼフ・リスターです。


 とまあ、日本語なのですらすら読めて大変面白かったので、図書館に本を返却した後、購入して手元に置いておくことにしました。ぺたぺた付箋を貼って保管しておこうと思うと、やはり図書館の本では都合が悪いので。あいにく、邦訳は単行本しかないのですが。そういうわけで、現在家にある『ヴィクトリア朝医療の歴史』は自前です。

 この格調高い邦訳のタイトルと表紙デザイン、本の内容に非常にマッチしていると思います。しかし、原題はThe Butchering Art、唖然としてしまいます。


 Butcheringて……


 肉屋のことをButcherといい、Butcheringは、肉屋が肉をぶった切っているイメージでしょうか。レザーエプロンは血みどろ、内臓や肉片があちこちに散乱している……。フローレンス・ナイチンゲールが見たら白目を剥きそうな劣悪な環境です(彼女のこともちらっと出てきます。だいたい同じ時代のひとですから。白目は剥いていません)。

 ジョゼフ・リスターが外科医を志した頃、ようやく全身麻酔が手術に導入されるようになった時代の外科医は、この言葉通り、肉屋とあまり変わらないような扱いを受けていました。Artは芸術というよりは、技能の意、肉屋と揶揄されながらも、麻酔のなかった時代に患者の苦痛をできるだけ軽減させるために、驚きの速さで大腿骨のような太い骨を切断したりする手技を極めた職人としての外科医に対する賞賛と畏怖を込めた言葉でしょうか。

 このキャッチーなタイトルが功を奏したのか、原書はベストセラーになったようです。


 原書・邦訳ともにお勧めしたいと思います。自分は原書の方は読んでいないのでいささか無責任かと思いますが、ノンフィクションは飾らない文体で淡々と述べられることが多いので、文学作品より読みやすいかもしれません。もちろん、一般向けとはいえ医学ものですから語彙が若干むずかしいかもしれませんが、あとでホラーとかミステリを読むのに役立つのではないでしょうか。


 そして今回読むThe Facemakerは、フィッツハリス博士の2作目。現時点で邦訳はないので、ちょうどペーパーバック版が発売されたタイミングで原書を読むことに決めました。図書館から借りたのはアメリカ版ペーパーバック、グリーンを基調としたまるで一昔前のスリラー小説のようなデザインです。


 うーん、借り物の本に文句を言えたものではないのですが、もし自分で購入するなら、Penguin版にしたいと思います。そうです、あのロアルド・ダールの児童書を出版している英国の老舗出版社です。博士はイギリス人なので、どうせなら英国の出版社から出ているものがいいです。Penguin版は表紙も良質なノンフィクションにふさわしいデザインだと思います。


 自分は一昔前のミステリやホラー小説のデザインは決して嫌いではありません。今せっせと集めているアガサ・クリスティーのペーパーバックがまさしくそういうデザインですからね。ただ、このノンフィクションの表紙としては、ちょっとなあ……と思うのです。適材適所ってあると思うので。

 とはいえ、ペーパーバック版が発売されるとは、英米では人気の作品なんですね。


 Amazon.co.jpでタイトルThe Facemakerで検索すると、以下のページに誘導されると思います:


https://www.amazon.co.jp/Facemaker-Visionary-Surgeons-Disfigured-Soldiers-ebook/dp/B09CNFB6FG/ref=tmm_kin_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=1693096373&sr=1-1


お、Kindleだと1200円(2023年8月27日現在)とかなりお得ですね。ここで他のエディション――ハードカバー/ペーパーバック/Audible――も選べますが、ハードカバーは英国Penguin版、ペーパーバックは米国版、Kindleは米国版ペーパーバックをもとにしているようです。


 なんで?


 自分で買うならKindle版にしますが、どうせならPenguin版の表紙がいいなあ。ハードカバーのデザインがそのままペーパーバックにも採用されていて、かっこいい。それで、Penguin版のペーパーバック&Kindleはないのかと探してみました。

 あった。

 下記からなら、Penguin版表紙のKindleが購入できるようです:


https://www.amazon.co.jp/dp/B09D7BD6JH/?coliid=I2JZ4KRUFBGWNH&colid=2LD1LPT9D7TOR&psc=0&ref_=list_c_wl_lv_ov_lig_dp_it


 Kindle版だって、デバイスの電源を切ると現在読んでいる本の表紙が表示される設定にしてあるので、本のデザインは大事です(Kindleのデバイスだと白黒で表示されますが)。英米版ではスペルが英国式と米式で異なっているかもしれないし。英国人の著者が英国式スペルで記したのであれば、そちらを読みたいです。

 ああでも……もし和訳が出るならそちらにしたい気持ちもあります。今のところそのような情報は入手しておりませんが、どこかで翻訳の企画がすすんでいるといいのですね。


 翻訳が出るとしても当分先になると思うので、ここは有り難く図書館から借りた原書(米国版ペーパーバック)を読むことにしましょう。

 316ページ。なかなかのボリュームですが、恐れることはありません。この種の本は、だいたい巻末の100ページぐらいが本編で引用した文献のリストや注釈に宛てられているからです。この部分、もちろんつぶさに目を通してもいいのですが、自分は読み飛ばすことも多いです。本文を読んで、ソースが気になったり更なる説明が欲しいと思った時だけ参照すれば十分だと思います。

 The Facemakerも、本編は250ページで終ります。通常のフィクションのペーパーバックに比べればサイズが大きく1ページに含まれる語数も多いのですが、これがスティーヴン・キングだったら軽く1000ページを超えることもあるのだと思えば、たいていのことには耐えられるものです。

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