『運命の選択(三)』
運命の選択を迫られた
その表情からは『平穏』と『激動』、どちらの道を選んだのかは読み取れない。しかし、どこか力ない足取りであった先ほどまでとは打って変わって、今は迷いのない力強い歩みで前へ前へと進んでいく。それはまるで、失った活力を取り戻そうとしているかのようであった。
「————『この道を
昔、どこかで聞いたような英雄の遺訓を口ずさんだ時、
「————うああァァァァァッ‼︎」
前方の茂みの奥から幼虎の咆哮を思わせる叫び声が耳に飛び込んできた。その声を聞いた成虎は表情を引き締めて歩みを速める。
(さーて……、鬼が出るか、蛇が出るか…………)
茂みを掻き分けた成虎の眼に映り込んできたものは、背に翼の生えた大虎の真っ二つに切断された死骸と、哀れにも物言わぬ姿となった美女を抱きかかえて泣きすがる男、青冷めた顔で
「————おうおう、こりゃどういうこった?」
強烈に眼を引いたのは全身に返り血を浴びた白髪の少年であった。しかし、恐ろしいのはそれだけではない。なんと、その左の手首から先が虎の腕を継ぎ合わせたようになっている。平静を装ったものの成虎は内心で冷や汗を流した。
(……おいおい、出だしからちょいと『激動』が過ぎるんじゃあねえの? こっちの道はよう————)
成虎の姿を捉えた白髪の少年が瞬時に襲い掛かる。それは
白髪の少年の爪が掛かる寸前、成虎は人差し指を突き出した。それはゆるりと突き出されたように見えたが、何故か先に白髪の少年の胸に届いた。
成虎に胸を突かれた白髪の少年は雷に打たれたように一瞬にして全身が硬直すると、地面に落ちて動かなくなった。
フウッと息を吐いた成虎が突き出した指を収めると、提灯を提げた老人が近付いてきて一礼する。
「私は
「礼には及びません。私は
清徳鎮の元締めを名乗る凌翁の礼儀に適った物言いを聞いた成虎は、いつもの軽口を封印して答える。
「岳殿。失礼だが、先程のお手並はもしや内功では……?」
「ええ、それが何か?」
尋ねられた凌翁は気を失っている白髪の少年へ眼を向けてから、成虎へ向き直り頭を下げた。
「初対面で誠に不躾だが、どうか、この子に……
「……ご老体、顔を上げてください。何故この子に内功を?」
「この子が産まれた時から思っておった。この子には常人とは比べものにならんほどの険しい道が待ち受けておると。内功を会得する事で、その道行きの助けになればと……」
「…………」
腕を組んで考え込む成虎の脳裏に義兄・
————成虎、お前も弟子を取ってみたらどうだ……?
「成程……その言葉に嘘は無いだろうが、そこに、この子を厄介払いしたいという気持ちは全く無いと言えますかな?」
「…………‼︎」
成虎の抜き身の質問を受けた凌翁はうつむいて長いこと沈黙した後、ようやく口を開いた。
「……ワシは卑怯で臆病者じゃ。娘が腹を痛めて産んだ子が、恐ろしゅうて堪らん……!」
凌翁が震える声で答えると、成虎は納得した面持ちでうなずいた。
「よくぞ正直に話してくださいましたな。この期に及んで、聖人ぶった事を言えば問答無用で断っていた所だ」
「それでは————」
凌翁が顔を上げると、成虎は指を一本突き立てた。
「一つ条件があります。私の課す修行は厳しい。結果この子が死んでしまうかも知れませんが、よろしいか?」
「……この子が一言でも弱音を吐いたら、知らせてくだされ。迎えを寄越しましょう」
苦渋の表情で答える凌翁に向けて成虎は包拳する。
「承知した。では、ここでお別れです。清徳鎮の磁器はまたの機会にするか」
そう言うと成虎は倒れた拓飛という白髪の少年を抱え込む。跳躍して夜の闇に溶け込んだ成虎の背後から凌翁の声が響いてくる。
「————拓飛、
————久しぶりに軽功を用いて木々の間を滑空しながら成虎は易者の老人の言葉を思い返していた。
(……『大切な何かを失う代わりに大切な何かを手に入れる激動の人生』、か…………。アイツらとの出会いも別れも、この岳成虎さまを形作る重要な一部だ。酒だって
そんなことを考えていると、脇に抱えた拓飛から鼻をすする音が聞こえてきた。
「一応、手加減はしてやったんだが
「…………違う……」
「じゃあ何で泣いてやがる?」
「…………強く、なりてえ……‼︎」
「何で強くなりてえんでえ?」
「……俺が弱かったせいで小蛍は……ッ、お前みたいなオッサンの助けがいらないくらいに強くなりてえ……ッ‼︎」
「…………」
「————オッサンじゃねえ。岳のオジサマと呼びな、ボウズ」
失った活力を取り戻した成虎は、これから長い付き合いになる虎児に向けて魅力的な笑みをぶつけた。
(全書完)
————岳成虎、
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